タイミングのいい読書
広告
本にも出会いのタイミングがあるのかなと思う。津村記久子さんという作家の文章と物語が好きで小説はほぼすべて読んできたが、一冊だけ手をつけられていないものがあった。
架空のプロサッカー2部リーグに所属するチームと、それを応援する人々を描いた連作短編小説『ディス・イズ・ザ・デイ』(写真下、画像は朝日新聞出版HPより)である。
出版されたのは2018年で、私は当時すでに津村さんの作品を何作か読んでいた。しかし自分が運動音痴なことからサッカーを含むスポーツ全般について無頓着だったため、この本は見返し部分に描かれていた一覧を見て↓
「あ、ちょっとよく分からないかも…」と思い込み(実際のチームだと勘違いしていた。それくらい詳しくない)、読むことを躊躇してしまった。代わりに未読の過去作を図書館で探し、片っ端から借りては津村さんの作品世界にどっぷりとはまっていった。
近年は、短編集『サキの忘れ物』(2020年)、長編の『つまらない住宅地のすべての家』(2021年)と、津村さんの新刊は待ちきれずにすぐさま購入している。
少し前に『つまらない住宅地のすべての家』を読み終えたあと、あまりに良かったので物足りなくなって一度読んだ作品を物色している最中、そういえば!と冒頭の本の存在を思い出したのだった。そして、今なら読めるかもしれないことに気がついた。
図書館で検索すると予約待ちはなしとのことで、その日のうちに借りに行った。試しに1話目を読んでみたところグッと引き込まれて、早くも(これは“買い”だな)と確信もした。
こんなにもすんなりと読めてしまったのは、そもそもこの小説で描いているのはサッカーのルールではなく、さまざまな人間模様だからというのもある。
しかしそれよりも、私自身が数ヵ月前に人生初となるスタジアムでのサッカー観戦を経験し、チームの監督やプロ選手たちにインタビューする機会を得たことが大きいだろう。月刊イオ6月号に掲載されたサガン鳥栖(佐賀県鳥栖市にあるJ1チーム)関連の取材である。インタビューに先立ってチームの雰囲気や活躍を知るため、試合のチケットを購入したのだった。
高揚した雰囲気の老若男女が入り混じってスタジアムへ向かう様子、入り口に広がるさまざまな種類のフード屋台、チームの士気を上げるため自主的に楽器を持ち込み小気味よいリズムを刻み続ける熱烈なサポーターたち…。生まれて初めて見る光景の一つひとつが新鮮で驚いた。
試合にも感動をおぼえた。ボールに食らいつく選手たち、ゴール前での攻防戦、「え、それって反則じゃないの?」と思うような相手選手の接触、それを気にもせずまた立ち上がりすぐに走り出す姿。目立つ選手の背番号と名前を確認しスマホで検索してみると、なんと20歳にもなっていない。その日、出場した選手たちは同様にほとんどがかなりの若手だった。
一般的に、長年プロの選手として活躍し続けるのは簡単なことではない。かれらはとても限られた時間の中で精一杯走り続けているのかと考えると胸が熱くなった。
残念ながらその日の試合は負けてしまったが、どこかまだ熱気を帯びたまま一斉に駅へと向かう人々の背中を見ながら、地元にサッカーチームがあるってすごいことだな、と感じたものだ。その後のインタビューでも、小さな地方都市でプロサッカーに励む思いを監督と選手の双方から聞くことができ、自然と興味が深まった。
そうした経験があったから、きっと今なら読めるはずだと思ったのだ。そして実際、あっという間に最後まで読み終えて感じたのは、一番はじめに書いた通り、本にも出会いのタイミングがあるんだなということだった。
観戦体験と取材を経た今だからこそ、ちょっとしたきっかけでサッカーに興味を持ち試合に足を運ぶようになった登場人物に共感したし、一人の選手に注目して応援し続けるサポーターの心情にも思いを馳せられたし、見ず知らずの人ともサッカーを通して打ち解けられる場面も納得して読めたのだと思う。共感を持って読んだからこそ実感した文章もある。
作品に触れて抱く感想というものは人によってまったく異なるが、一人の人間でも経験の有無や年齢によって受け取れるもの、感じられることはどんどん変わっていくのだろう。
これまでにも、ちょっとした文章に救われたり、頭の中にある物事とリンクしていたり、そのとき思案していることのヒントになるような記述を見つけたりと「タイミングのよさ」に気がつく読書が何度かあった。そういう本はなんとなく心に残っているものだ。(理)