vol.44 33歳、「異郷の死」入管体制という“絶対悪”
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戦後、日本政府初の対朝鮮人政策は敗戦した1945年12月の「衆議院議員選挙法改正」である。日本社会では「婦人参政権実現」として語られるこの改定で、日本は当時、同じ「臣民」だった在日朝鮮人、台湾人の選挙権を「停止」した。基準は、「戸籍法の適用」を受けるか否か。「内地」の戸籍法の適用を受けない植民地出身者からまず政治参加の権利を奪った。
続く措置が47年5月2日、天皇裕仁最後の勅令「外国人登録令」である。日本国籍をいまだ有する一方で外国人とみなすことで、徹底した管理、監視の対象とした。続く措置が51年10月制定の出入国管理令である。GHQの反対で断念したが、政府は当時、日本国籍者でもあった在日朝鮮人を入管令の対象にしようとしていた。基準は選挙権と同じ「戸籍法の適用」である。そして翌年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効に伴い、植民地出身者の日本国籍は喪失させられる。「無権利化」の完成だった…。(…続きは月刊イオ8月号に掲載)。
写真:中山和弘
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。