私にとっての「ニューノーマル」
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先日、発行されたイオ8月号では「長引くコロナ禍―みんなどうしてる?」と題した特集を掲載した。
企画段階から編集工程の終盤までは「コロナ禍のニューノーマル」という仮題がつけられていた。コロナ禍の中で根付きつつある新たな生活様式や仕事スタイルについて取材するというコンセプトだったが、最終的に「ニューノーマル」という単語は取っ払った(雑誌編集ではよくあること)。
この間、昨年来の新型コロナウイルス・パンデミックの中で自分にとってニューノーマルとなったものは何だろうかと考えてみた。
マナーとしてのマスクの着用、ソーシャル・ディスタンシング、時差通勤、在宅勤務などは私に限らず多くの人びとにとっても「新たな常態」となっている。
ほかには、手洗いや手指消毒の徹底もそうだ。リモートワークの機会が増え、パソコンを持ち歩くことが当たり前になったので、通勤時のカバンはほとんどリュックになった。子どもの保育園送り迎えを担当しているということもあり、両手が空くリュックは必須アイテムになっている。その結果、手持ちのブリーフケースやトートバッグなどリュック以外のカバンの出番がほとんどないのが悲しい。
また、「実際に会ってこそ話ができる」というある種の「対面至上主義」が撲滅されつつあるのも、コロナ禍でのニューノーマルの一つだと思っている。「対面でないと相手の表情の機微が読み取れないので、円滑なコミュニケーションをはかれない」「モニター越しだとこちらの意図が相手に伝わりづらい」―。そんなことはない。あくまで私自身の経験だが、このようなネガティブな声は多くの場合で杞憂に過ぎなかった。電話には電話の、メールにはメールの、対面には対面の、ズームにはズームのコミュニケーションの作法がある。その作法、技術を磨いていけばいい。もちろん慣れないうちは戸惑いもあったが、慣れてしまえばなんのことはない。
そして、「とくに必要性がないのにダラダラと長時間続く飲み会」がなくなった(というか、複数人での飲食をともなう会食自体できない)のも肉体的、精神的にいい影響しかない。
個人的には、新型コロナウイルス・パンデミックの世界が数年で元に戻るというのは楽観的過ぎるが、この状態がそのまま10年単位で続くことはないのではないかと見ている。仮にこの世界が「コロナ前」に戻っても、体調不良時は積極的に休む、時差通勤・リモートワーク推奨、手洗い徹底などのコロナ禍で定着したワーク・ライフスタイルはこのまま続いていってほしいと願っている。
あなたにとっての「ニューノーマル」は何ですか。(相)