勇気のバトン、握りしめ~高校無償化裁判を終えて
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日本政府は規定ハを復活せよ
2010年4月1日から施行された高校無償化法は、国公私立の高等学校や専修学校に加えて、各種学校認可を持つ外国人学校を含む「すべての者」を対象に、学びを支援するための国庫補助を行うという画期的な法律だった。
しかし、制度がはじまり11年目の今も、唯一朝鮮高校10校だけが排除される事態が続いている。
無償化裁判の最大の論点は、国が朝鮮高校を無償化制度の対象にする根拠となっていた「規定ハ」を政治外交的な理由をもって削除し、朝鮮高校を不指定としたことが法律違反かどうかだった。
しかし、国は、拉致問題が進まないという政治外交的理由で「省令を改悪」したことが明るみになると、裁判で不利になると考え、朝鮮高校を外した経緯を封印し、「朝鮮学校が適正運営をしていないから就学支援金が支給されなかった」という趣旨の主張を展開。その手法として、就学支援金支給の手続きについて定めた「規程13条」を拡大解釈し、朝鮮学校が総聯や朝鮮民主主義人民共和国と関係があり、そのことが教育基本法16条1項に定める「不当な支配」にあたる「疑い」があると主張した。
疑惑の材料に使われたのは、朝鮮学校を敵視している公安調査庁の調査や産経新聞の報道だった。これに対し、原告側は「規程13条」にこじつけて学校運営全般をチェックすること自体が不当だと主張してきた。
転倒した構図、引き直す
無償化差別をめぐっては制度発足の当初から、朝高を排除した文部科学省の責任は棚上げにされ、多くのマスメディアが朝鮮学校の教育内容を問題視し、無償化が認められないのは「朝鮮学校の問題」であるという転倒した形で世論に訴えられ、問題の構図が「朝鮮学校は無償化にしてあげるレベルの教育内容なのか、どうか」という形に話が変わっていった(鄭栄桓・明治学院大学教授)。
朝鮮高校生たちが起こした裁判は、この転倒した問題の構図をもう一度引き直そうとした、重要な意義を持っていた。
在日朝鮮人の民族教育をめぐっては、占領下唯一の学校閉鎖(1949年)を経て、冷戦時代に作られた枠組みが1990年代から変化し、門戸開放の流れが進んだものの、2000年代に入っては03年の大学受験資格、10年の高校無償化において朝鮮学校だけが排除される後退を余儀なくされている。
日本の対朝鮮制裁が強まるなか、朝鮮学校に連なる在日朝鮮人を狙いうちにした国の差別は、コロナ禍でさらに露骨化している。現実、柴山昌彦文科大臣(当時)が「根拠規定そのものが廃止されていることから、法令に基づく適正な学校運営に関する確証の有無にかかわらず、(朝鮮学校が)指定されることはありません」(19年3月19日の参議院文教科学委員会)といい放つほど、差別の根は深い。
日本政府は一日も早く「規定ハ」を復活させ、「すべての者」を対象にした法の理念に立って、朝鮮高校生に就学支援金を支給すべきだ。
249人の原告たちを想う
15、16、17歳の現役の高校生、それも249人もの生徒、元生徒たちが「裁判」の原告として名乗りでた気持ちに思いを馳せる。
2013年からの8年間、自分のルーツを否定されるという危機感、後輩たちの未来を切りひらくという原告たちの決心に、多くの人たちが思いを重ねてきたし、国籍や民族の垣根を越え、人々がつながっていった。
裁判で問われた法の下の平等、在日朝鮮人の民族教育の権利という命題は、司法の不作為によって再び日本社会に投げられた。
長くしんどい裁判を闘いぬいた今、私たちは249人の原告から渡された「勇気のバトン」を握りしめ、前へ進んでいく。(瑛)