2021年夏、標高3400mに後悔を残してきた―
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コロナ禍が1年以上続き、都会で遊ぶには心的にも物理的にも制限がかかるせいか、
それとも、そういうお年頃になったのか、今夏は、とにかく自然を欲していたので、富士山に登ってきた。
公共交通機関は感染リスクが高いので、富士山までは車で。
5合目まで専用バスで移動し、初心者がまず訪れるという吉田コースを登った。
富士登山の目標は、山頂で日の出を見ること。
そのためには、高山病にかかることなく、無事に山頂までたどり着かなくてはいけない。
まったくの登山初心者6人で情報を集め、腹式呼吸を意識、ゆっくり登る、水分補給をこまめにする―など、高山病対策を徹底した。
▼初日目
12:00、登山スタート。
5~7合目までは、それほど辛くない。
こまめに水分補給をし、チョコレートやナッツをつまみながら、挙句の果てには鼻歌を歌いながらさくさくと登った。
気温はそこまで高くないが、体を動かしているので、汗が止まらない。
7合目から宿泊する山小屋がある8合目までは、ほとんどが崖のような道で、最初は「来た来た!こういうの待ってた!」とテンションが上がっていたが、結論から言うと人生で一番きつかった。
そしてわれわれが登った日は、山小屋のスタッフも「当たっちゃったな」と同情するほどの、世紀の悪天候に見舞われた日だった。
立っているのが精いっぱいなくらいの暴風と大雨、時にはヒョウのように固いものが顔面に当たる…。友人に借りたリュックの雨除けもむなしく(途中まで雨除けがあることを忘れていた)、鞄の中はビショビショに。
水分補給をするにも立ち止まれるような場所がない。登り続けると息も上がるし高山病のリスクも高まるが、休憩をすると、先ほどまでの汗、暴風暴雨でずぶ濡れになった体が冷えて、寒くて寒くてたまらない―。正直、泣きそうだった。
過酷すぎて、「どうして人は、山に登るのだろう」という哲学的な問いがひたすら頭に浮かぶ。
そして、夏の富士山でこんなにも過酷なのであれば、雪の降りしきる白頭山に潜伏していた抗日闘士たちの過酷さは幾ばくか…、「백두의 칼바람(白頭山の寒風)」なんて受けようものなら…などなど、異次元の想像力が広がる。
ひたすら崖を登っていると、足に相当な負荷がかかり、体を持ち上げる力がなくなってくる。手を使って階段を上ったのはおそらくよちよち歩きの時ぶりだ。つまり、26年ぶりぐらいだろうか。
▼山小屋(標高3400m)
16:40、私ともう一人の友人は山小屋に到着。
17:00、布団にくるまる。
本来はぎっしりと寝袋が敷き詰められ、登山客みんなで寝るのだが、コロナ対策のおかげで寝袋の隣には多少のスペースがあった。山小屋には暖房も乾燥機もない。低気温、高湿度だ。最悪だ。
ちなみに筆者は前述したとおり、リュックの中もずぶ濡れ。湿ったヒートテックのスパッツを履き、かろうじてあまり濡れなかったフリースを着て毛布にくるまり、自慢の体温で布団の中を温めて濡れた服を乾かすというサバイバル術を披露した。
この富士登山で一番病みそうになったのは、山小屋だったかも知れない。
まず、標高が高く酸素が薄いため、眠りが浅くなるらしく、30分~1時間の間隔で目が覚める。目が覚めても、寝たという感覚がない。
なにより、頭が痛い…!
振り返ってみると、筆者ともう一人は、体育会系の性だろうか、「辛い時のあと一歩」を叩き込まれたせいか、もくもくと(筆者は、内心泣きそうだった)かなりのスピードで崖を登っていた。
いや、5~7合目もさくさく前に進んでしまっていた(歌いながら、喋りながら…)。
山小屋には、他の友人たちより1時間も早くついたほどだ。そりゃ高山病にもなる。
そして、山小屋を叩きつけるような風と雨の音―。自然の恐怖を前に、「人間は、なんてちっぽけなんだ」とテンションが下がる。同時に、「絶対もう富士山には登らない」と硬く硬く決意した。
山小屋の出発予定時間は確か深夜2時すぎだったが、山小屋のスタッフや登山のプロたちからストップがかかり、時間を延期に。
4時ごろに出発しようとしたが、天候はまったく回復せず、6時を迎える。日の出どころか、この日、「日」を見ていない。そして、「頂上まで登るか、下山するか」の選択を迫られた。
(正直、ここまで来て下山なんて、屈辱でしかない。ここで諦めたら、人生の汚点になるかもしれない。頂上まで行きたい。しかし、帰りたい。寒い。頭痛い。もう来たくない。でも、やっぱり登りたい…)。
今年いちばん葛藤した瞬間だった。
しかし、体調の悪いまま登って友人に迷惑かけるくらいなら降りようと決意。すると、山小屋のおじさんたちに「諦める決断が一番難しいんだ。その決断をできたら大したもんだよ」と褒められ、頭痛が治った。いざ頭痛がなくなると、登りたくなる。しかし、褒められたのでそのまま下山することに(単純)。
▼二日目
早朝6:30、3人は頂上へ、私含めた3人は下山へ一歩踏み出す。
「もう来るもんか」と思っていたが、いざ下山をはじめると「よーし、来年リベンジだ」と燃えだす。
雨も止んだので、鳥のさえずりを聞きながら、写真を撮りあいながら、青春しながら下山した。
そして、あと少しで5合目到着…という時に大雨に見舞われ、乾いた服は見事、ずぶ濡れに。
服が濡れたことを口実に、下山組でおそろいのTシャツを購入。
登頂組に、頂上の様子を聞いたところ、
霧で何も見えないうえ、酸素が薄くてしんどかったのだとか。
来年リベンジの選択をして正解だった。
▼富士山で得たこと、学んだこと
これまで筆者は、深夜の記事執筆や炎天下の取材、つらい局面で、バスケ部現役時代の過酷な練習を思い出しながら「あの時に比べればこんなもの」と乗り越えてきた。それが今回、更新された。筆者はさらに強くなった。
また、諦めること、引き際を見極めることを学んだ。
そして、やはり筆者は足腰が丈夫だということを再認識した。下山中、突風が吹き、みんなが転んでいても、スティック一つ持たずサクサク降りていた。バスケ部時代の体幹トレーニングのおかげだろうか。
2022年の夏に、標高3400mの後悔を晴らしに行くことを決意したのであった。(蘭)