遠ざかる「朝鮮」
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『韓国・朝鮮の美を読む』という本を読んだ。86人の筆者がそれぞれに感じる「韓国・朝鮮の美」について、その対象をよりよく知るための本を推薦しつつ紹介するブックガイドである。
現代文学、建築物、絵画、伝統芸能、文字、歌謡曲、詩、文化財、そして人々の意識まで―。自身が見出す美について楽しそうに綴る文章群は、「こんな分野もあるのか」「そんな魅力があるんだ」と読む者の世界を広げてくれる。
とても興味深く読み終えたが、ただ1つ寂しい点があった。本書タイトルには「韓国・朝鮮」とあるにもかかわらず、朝鮮民主主義人民共和国の美について語った人は86人中、片手で数えるほどしかいなかったのだ。
ほとんどが、現代の韓国や分断される前の朝鮮半島を指しての「朝鮮」に関わるものを取り上げていた。この比率は訪朝経験がある身としては惜しいものだった。朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)にも美しいものはたくさんあった。
注ぎたての大同江ビールの黄金の輝き、乗用車でめぐる平壌市内の夜景、ホテルの最上階にあるカフェから眺めた夕焼け、現代風に改良されていないチマチョゴリのまっすぐな形や色合い、工場で働く労働者たちの表情、まっすぐに伸びる並木道、壮大な白頭山、学校の廊下に掲示されている手書きの啓発ポスター、地方の田園風景、人見知りな私に話しかけてくれた店員さんの笑顔、書店でふと手にした本の一節…
日本国内では今の朝鮮の姿について紹介される機会が少ない、どころかネガティブな面を強調する偏向的な伝え方しかされないからこそ、このようなタイトルで一般書店にも並ぶ本ではぜひ紹介してほしかった(そういった筆者がまったくいないという訳でもないのだから)。
しかし、なかなか仕方がないとも言える。この本は冒頭に書いた通り、そしてタイトルにも「読む」とあるように、基本的には韓国や朝鮮の美と出会うための“本”を紹介するものだ。
日本政府が朝鮮への敵対政策を展開し独自の経済制裁を行っている現状では、朝鮮からの流通も途絶えて本が入ってこないのはもちろん、一般の人々にとって現地に行くことも心理的・物理的に簡単ではない。日本では、意図的に朝鮮がどんどん遠ざけられてしまっているのである。
加え、昨年からの新型コロナウイルスの世界的感染拡大によって現在は入国もできなくなってしまった。自分の五感で現地の人や物、空気に触れ、自分の言葉で朝鮮について語ってくれる人がいることの大切さを近ごろ特に痛感している。(理)