“たかがウリマル、されどウリマル”
広告
イオ10月号の特集は「우리 말―掴む、話す、考える」。どうにか形になったが、当初は方向性を考えるのにとても苦労した。
“우리 말”と一口に言っても、在日同胞の場合、イメージする言葉は人それぞれだ。バックグラウンドやライフスタイルによって認識に少しずつ違いがあるだろう。では「コリアにつながるすべての人へ」というコンセプトを掲げ、いまを生きる多様な在日同胞へのアプローチを試みるイオでは、우리 말をどの塩梅で扱えばいいのか。
もちろん民族の自主的な統一を志向し、他国に干渉されていない正統性のある言葉を守り続けているという点で、平壌文化語を尊重するのは大切なことだと思う。しかし一方、朝鮮民主主義人民共和国に関するものが遠ざけられ、韓国文化の流入が顕著な日本で、いわゆる韓国式の우리 말(俗語や外来語、造語なども含む)に親近感を覚える同胞が多い事実も否めない。
いろいろと考えているうちに、(あれ、でもちょっと待って、故郷のサトゥリ―方言もあるし、朝鮮学校をとっくに卒業した人が平壌文化語を学ぶ機会はあまりなさそうだし、えっと、…自分は何を伝えたいんだろう)と目的を見失いそうになることもあった。
そこで、朝鮮大学校で長らく朝鮮語話術を教えている李汕玉先生に助けを求めた(学部生時代に授業を受けた)。
李先生は、昨今の同胞たちの우리 말に対する意識について思うところを話したあと、「(北と南で)本当は共通する部分が多いはずなのに。人は違う方に目が向きやすいから」、そして「統一すればどれも方言になるのにね」とサッパリのべた。当たり前の言葉のようだが、目から鱗が落ちた。
そして、やっぱり“私たちの우리 말”について、改めてそれがどんなものなのか言語化していくことが大事なのではないかと感じた。答えはなくて、考えるためのきっかけになるようなキーワードがたくさん出ればいい。
結果、こんなボヤボヤした私のアイデアを補完してくれるたくさんの言葉が集まった。すでに読者カードを通して以下のような感想が寄せられており、企画してよかったと思う。
「自分たちのウリマル運動と重ねて読むと発見が多く、とてもためになりました」「ウリマルは本国の人たちにはなんでもないことでも、私たち在日にとっては命のように大切で守りぬかねばならないもの。ウリマルの特集は本当に元気をいただけます」「自分の子も우리 말を学び、在日同胞として生きてほしいと思いました」
***
また、もう一つ、特集全般を通じて自分なりに思うところがあったので書いてみたい。李汕玉先生との電話のあと、正式にインタビューしたのだが、そこで印象に残った言葉がある。以下、長くなるが紙幅の関係で紹介できなかったエピソードを紹介する。
私も過去に1回だけ、仕事で南に行ったことがあります。ホテルや街なかで現地の人と話すと、みんな第一声は「한국말 잘하시네요(韓国語がお上手ですね)」と言う。でも次からはずっと日本語。日本からの観光客扱いなんですね。
でも慶州に行った時、休憩時間に少しだけ外出して、ホテル近くの路地奥にある布団屋さんにふらっと入ったんです。店主と娘さんがいたのですが、ウリマルで世間話をしているうちに、その人たちが「これが噂に聞いていた総聯の同胞か」と泣き出して。
「日本でウリマルを教えて守っている同胞たちがいるということを話では聞いていたが初めて会った、本当によくやった」―。その店主は、まるでウリナラの人のように私と接してくれました。
この人たちは民族の同一性とか統一とか、そういうのを志向する人だったんだなと思いました。だから、たかがウリマル、されどウリマル。ただの言語じゃないんです。
インタビューの中で、李先生は「『どういう朝鮮人になりたいか』『どういう朝鮮人として生きたいか』との問いが、『どういうウリマルを身につけたいか』という意識につながると思う」とも仰っていた。
上の話を聞きながら、これはイコール、「どういう人と関係性をつないでいきたいか」ということでもあるのかなと思った。
特集の内容から、もう一つだけ引用したい。韓国で生まれ育ち、在日歴13年、現在は朝鮮学校の保護者でもある高昌弘さんのエッセイから。高さんはYouTubeチャンネルを運営して朝鮮学校のアピールもしている。
YouTubeチャンネル「イルボンアジェTV」に在日同胞の方々の動画をアップすると、「北韓の言葉みたい」「『ウリマル』とは言わず、北韓語と呼んだほうがいい」といったコメントをつけてくる韓国の同胞も少なくありません。
確かに、ウリハッキョに通っている私の長女が普段使っている単語の中には、…(中略)韓国では使われないものもあります。だから「北の言葉」のように聞こえたりするのかもしれません。
この点については、日本語の影響も非常に大きいと考えています。在日同胞のウリマルを聞くと、在日朝鮮人特有のアクセントやイントネーションを感じることが多々あります。
…(中略)
私はこのような在日同胞の「ウリマル」がとても好きです。在日同胞のウリマルを聞くと、数多の困窮や差別にも屈することなく、民族の言葉と文化を継承してきたことがわかります。「私たちもあなたたちと同じチョソンサラム(朝鮮人)です」という思いを感じるのです。
並べてみると、この文章と李先生の言葉が本当にぴったりつながる。
朝鮮学校の言葉を表面的に捉えて「北韓の言葉みたい」と言いのける人や、あいさつ程度に「한국말 잘하시네요」と言いつつ同胞ではなく観光客と見なす人たち。一方で、慶州の布団屋さんの親子や高さんのように、歴史的背景を理解し同胞として関係性を築こうとする人たち。長い目で見て、どういう人たちと出会い、言葉を交わし、関係を続けていきたいか。
もちろんビジネス上、韓国のネイティブに寄せた話し方をしたり、朝鮮学校に通っておらず、韓国の文化を通して初めて民族と出会ったという同胞もいるだろう。それに、どんな人とでもじっくり話し合えば同胞として出会え直せるとも思う。安易になにかを否定したり、排除するような思考には気をつけなければいけない。
そういうことも考えた上で、私にとっての우리 말とは…。これからも絶えず自分に問い続けてみようと思った。
***
読者の皆さんも、特集を通して感じたことがあれば読者カードやメールなどでどしどしお寄せ下さい。
イオ10月号はAmazonで購入可能。10月号から定期購読もできます。webサイトから新規で購読を申し込んで下さった方には、限定クリアファイルなどの特典もついてきます。(理)