沖縄から、はいたい!
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17日、朝の便に乗り、沖縄に上陸した。
人生初の沖縄。空から見た海の青さに言葉を失った。
人は、あまりに感動を受けると、語彙力が低下するのだろうか。「やば」しか言葉が見つからなかった。

白い輪っかが気になる

着陸寸前。きれいが過ぎる。(え、水上に着陸するの?)という一抹のスリルも。
今回の出張の目的は、沖縄に暮らす同胞に会いにいくこと。
取材が決まっている企画以外は、必ず足を運ばなくてはいけない歴史資料館や、取ってこなくてはいけないコメントはこれといって指定されておらず、「興味の向くままに、のびのび取材をしてきて」と背中を押してもらった。
きれいな海、三線の音、郷土料理、独特な琉球文化…海外に来たような、のんびりとした気持ちで取材ができるのだろうかという一抹の期待を抱いていたが、日帝の戦時性暴力を告発した裵奉奇ハルモニが暮らした地であり、第二次世界大戦末期、上陸した米軍と日本軍との間で行われた地上戦で甚大な人的・物的損害が出たこの地で、日常のように軍機が飛びかう光景を見ると、なんとも皮肉を感じるというか、やはりほんわか気分だけでは過ごすことができない。
とはいえ、昨日まではゆいレール沿いの那覇市内を徘徊する日々で、“沖縄らしい”ものを撮れていない。
今日から宮古島、美ら海水族館と、沖縄ならではのスポットに取材に行く。予定の埋まっていない日は、普天間や渡嘉敷島にも足を運べたらと思っている。(蘭)

初日。国際通りを徘徊していると、辺野古基地移設反対のデモに遭遇

轟音を立てながら、軍機が飛び交っていた

取材相手を待っていた時、ヤギ出没。変な視線を感じたわけだ

いい笑顔

沖縄の伝統工芸「壺屋焼」は、1600年代、3人の朝鮮人陶工が日本に渡り、その技術を普及したことがはじまりだという。

高校時代の同級生が働いているウミカジテラス。同級生は不在だった。
2012年8月の「日刊イオ」で(淑)さんが渡嘉敷島のゆかりの地のレポートをしてくれてますが、今はどうなっているのか、気になりますね。