ずぼらドミノ(自分をメモする②)
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以前、「自分をメモする」というタイトルでブログを書いた。それからあっという間(!)に10ヶ月。またメモがたまっていたので紹介したい。
ずぼらドミノ
最近気づいた、自分が陥りがちな行動パターン(手元の作業をずぼらにこなすことで負の連鎖を起こす)に名前をつけた。
具体的にどういう状況かと言うと、例えば右手に包丁を持ったまま左手で冷蔵庫からキャベツを取り出した際、そのキャベツにビニールが付着していた場合。普通に考えれば右手の包丁を置いてビニールを剥がし作業に取りかかればいい。というか最初に包丁を置いてキャベツを取り出せばいい。
しかしそれが手間に思えて、包丁は右手に持ったまま左手のキャベツを振り回すことでどうにかビニールを落とそうとしてしまうのである。
もちろん簡単には剥がれないこともある。躍起になって振っているうちに左手が別のボウルにあたる、ボウルがシンクに落ちて中に入れておいた食材をぶちまける、驚いて結局キャベツも取り落とす…という感じの惨事がまるでドミノのように一瞬のうちに繰り広げられる(包丁を落とさなかっただけ幸いだ)。
同じような失敗をこれまで何度もしており、いつも終わってから(最初にちょっと丁寧にしておけば最少の手間で済んだのに…!)と後悔する。主にキッチンで起こるので、もう紙に「ずぼらドミノ」と書いて冷蔵庫あたりに貼っておこうかと思う。
傘だけ進化してない
指でぷにってやったらぼうんって広がって浮遊してくれるクラゲみたいなの開発したらいいのに
これは雨の日にぼんやり思ったことだ。イヤホンがワイヤレスになったり、交通系ICカードができたりと身の回りの物はどんどん持ち運びしやすくスマートになっているのに、傘だけまだちょっとかさばるよな、と。
折りたたみ傘もあるけど、もっとこう…骨とかもなくて、普段は柔らかくて…とドラえもんのひみつ道具にありそうなアイテムを妄想した。
「開発したらいいのに」という言葉に人任せな性格が滲み出ていて苦笑した。
50代も楽しみ
全員悪人
『全員悪人』は本のタイトル。Amazonで気になる本についていろいろ見ている時に目に留まったのでチェックしてみた。
「私を老人だと思って馬鹿にしてはいけないですよ」ー。帯に書かれた言葉が強烈で、レビューの数も多かったのでどんな感想があるのだろうと読んでみたところ、50代以降の方のコメントが目立つ。
おそらく今の私が読んでも意味は理解できるし楽しめる内容なのだろうけど、まだ絶対に実感できない面白さや切実さがあるのだろうなと感じた。
50代には50代の読書時間や本との出会いがある。同様に、その物語を一番深く味わえる年代というものが常にあるんだと考えると、これからくる1年1年といつかくる50代が楽しみになった。
走ると絶対転ぶズボン
書いてある通り、これを履いている時に走ると必ず転ぶという呪いのようなズボンがある。
これまでに3回、肌が激しくすりむけて血が出るくらいの転び方をした時、いずれもこのズボンを履いていた。3回目でハッとして、危ないので自分への注意喚起のためにメモしておいた。
この話を家族にすると「何で買ったの」とおかしなツッコミを返されて笑ってしまった。そりゃあ洒落てると思ったからである。最初から「走ると転びます」とでも書いておいてくれれば買わない。
ちなみに、転ぶ原因はひらひらした素材と広い裾口。走ると靴先が絶妙に引っかかり、自分で自分のズボンを踏んづけて慣性の法則で転んでしまうのだと分析した。
走るタイミングは不意に訪れるのでもう怖くて履いていないが、あまり物を捨てられない性格なので処分もできないでいる。
うわーうわーって大声で泣いてる子ども、近づくと涙は流れてなくて自分でも勢いだけで声出してることに疑問抱いてる感じだった
街で見た光景をそのままメモしておいた。いつか何かに活きてくる内容ではないと思うけれど…。
辛ラーメンが辛い
こんなに辛い?途中から麺甘かった
この期間は結構くだらないことばかりメモしていたが、中でもとりわけくだらなくて「それを書いて後の自分に何を伝えたかったのか?」と呆然としてしまった。
「途中から麺甘かった」というのは、スープが辛すぎて麺すらも甘く感じられたというそのままの意味。突如として広がった甘味にちょっと感動して思わずメモしたのだろうか。
通奏低音
音楽用語だが、「常に底流としてある考えや主張のたとえ」という意味でも使われる言葉だという。たしか小説かエッセイで初めてこの言葉を見た。意味を検索したところ、ささやかなところが素敵だし言葉自体がお洒落だなと思い、覚えておこうとメモした。
ダビド・ベルヤフスキー
東京オリンピックの男子体操団体戦にROC(ロシアオリンピック委員会)代表として出場した選手の名前。メダルを手にして涙を流し、仲間と抱き合う姿をたまたまテレビで目にして心惹かれた。実直そうな顔がとても好みだったのである。自分にしては珍しいことだったため、焦って名前をチェックしメモしておいた。著作権の問題で写真は貼り付けられないので興味がある方はワード検索してみて下さい。
※個人的に「【東京2020オリンピック】帰国して娘に金メダルをかける ROC体操 ダヴィド・ベルヤフスキー選手」というタイトルの動画がとてもいい
学問とはバトンのようなもの
これは本を読んだり専門家にインタビューする過程で実感したことだ。どの分野でも、それまでに先人が積み重ねてきた知識や言葉があって、いまそれに従事する人たちは先人たちがずっとつないできたバトンを受け取っているんだなと、当事者からしたら当然であろうことだが少し感動した。
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こうして並べると、たいして役に立たない呟きのようなものが多かった。でもかろうじてブログのネタにもなっているし、まあよしとしよう。どんな内容であれ、きっとその瞬間の自分は何かしらの小さな感動や心の動きがあって「メモしておきたい!」と思ったんだろう。その気持ちをこれからも尊重したい。(理)