矢印は自分に向けて—先輩たちの言葉
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韓浩康選手企画のミレプロジェクト
Jリーグ横浜FCの韓浩康選手(28)が、日本各地の朝鮮高校生を応援するミレロ(未来へ)プロジェクトを企画。12月3日から5日にかけて10の朝高サッカー部から選抜された21人が東京に集まり、4日に朝鮮大学校(東京都小平市)サッカー部と対戦、5日には2年連続の選手権出場を決めた関東第一高校と試合する貴重な経験を積んだ。韓浩康選手が朝高選抜を応援~ミレロプロジェクト – イオWeb (io-web.net)
●元国家代表、Jリーガーが集結
ミレロフェスタを指導面で支えたのは、朝大、朝高出身の元Jリーガーたちだった。朝鮮民主主義人民共和国代表の安英学、李漢宰さん、そして鄭容臺、金永基さん、また、在日本朝鮮人蹴球協会の金載東技術部長をはじめ、スタッフ陣の並々ならぬ情熱が、このイベントを支えてきたことを書きたい。
スタッフ陣は、選抜チームが朝大に集まった時から、生活をともにしながら、ボールを蹴り、試合時の戦術を具体的に指導していた。
最終日の5日、関東第一高校を相手に一戦を交えた後、もう一試合が予定されていたものの、グラウンドの事情から急遽試合が中止。初戦に出場した選手以外の約半数の朝高生たちが、強豪と一戦をたたかうチャンスを失い、肩を落とす場面があった。そこで、先輩たちがかけた言葉は—。
「君たちが今日味わったように、ホガン(浩康)もサブに甘んじたこともあるし、ケガもした」
韓浩康さんを朝鮮大学校サッカー部時代の3年間、指導してきた在日本朝鮮人蹴球協会の金載東技術部長は、浩康選手が3年の時まで試合に出られず、実力とプライドをもって4年時にレギュラーの座を得たことを伝えながら、「くじけそうになった時、がんばったから、先輩たちはここいる。苦労は当然だと思ってほしい。大学時代、1000回、1万回とホガンとボールを蹴ったことを考えると、ホガンのキック一つを、ヘディングを見ても感無量だ」
試合に出たいと思う強い気持ち、勉強との両立を追求することを忘れてほしくない—。
あきらめたときが「負け」を意味する—。
金さんは、このことを伝えるために、このイベントを企画したと、全身全霊を込めて語っていた。
李漢宰さん(FC田ゼルビアクラブナビゲーター)は、「初日に君たちのギラギラした目を見せてほしいと言った。このことを毎日続ける必要がある。365日続けることで、“大きな所”に辿り着ける。今日感じたことを忘れずに、そして、いつかホガンのように受けた恩を返せるような選手になってほしい。僕も力をつけて、トンムたちの力になれるようにする。コマプスムニダ」と、厳しくも温かい言葉をかけていた。
●“可能性を広げるのは自分自身”
韓国の浦項スティーラーズ、名古屋グランパスなどを経て、川崎フロンターレU-15コーチなどを務めてきた鄭容臺さんは、「サッカーを通じて人間形成を、という思いで指導に携わってきた。生徒たちの可能性は無限大にある。そして、その可能性を広げるのは自分自身だ。
今回の経験を通じて何を感じて、今後どう歩いていくのかが大切。僕たちの役割は声掛けや環境を整えることで、成長のきっかけを与えること。後輩たちには基本を大切にしてほしい。成長する方法は、自分がおのずと考えることで示されると思う」と3日間を振り返っていた。
北海道、茨城の朝高サッカー部は学校単独でチームを組めず、近隣の日本の高校のサッカー部に合流して練習することもある。
北海道初中高の朴智然さん(高1)は、朝大サッカー部との試合の後、「朝大生や高校の先輩たちは体が丈夫で、もっと鍛えなければと思った。選抜に選ばれたからには母校の名前に恥じないように成長したい」と自身に言い聞かせていた。
茨城朝高から参加した崔永樹さん(高3)の父親・崔成喆さん(50)は、「このような学びの場を作ってくれたことに感謝している。同級生のサッカー部員は息子含め2人で、チームで試合ができない中でも、高校生活の最後に朝高選抜に選ばれ、貴重な体験をさせてもらった」としみじみ語っていた。
別れ際、韓浩康さんは21人の朝高選抜に熱く語りかけた。
「僕自身、高校時代に全国大会に出られず、悔しい思いをした。日ごろのワンプレイワンプレイから魂を込めて練習していたら、どういう場面でも実力を出せる。僕自身、もっともっと闘えるチームに仕上げられるような選手になりたい」
「ここにいるみんなに可能性を感じたし、将来活躍できる選手がいる。困難が来た時、立ち向かって乗り越えられるかにかかっている。矢印は自分に向けて!」-。
後輩たちへの大きな期待を込めた言葉だった。(瑛)