石原慎太郎の死に寄せて
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石原慎太郎が死んだ。
2月1日に亡くなったという。
もうあの男の口から差別発言を聞かされることはない。
喜ばしい? 祝杯の一つでもあげたい?
いや、筆者の胸の内はそんなに単純ではない。石原(あえて敬称はつけない)は自らの悪行の報いを受けることなく、それに対する反省を口にすることもなく89年の生涯を閉じた。「逃げ切られた」という悔しさの方が強い。
2000年、陸上自衛隊の行事に参加した際の、「不法入国した三国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害では騒擾事件すら想定される」という「三国人発言」、重度心身障害者に対する「ああいう人ってのは人格あるのかね?」などの発言を挙げるまでもなく、彼の外国人に対する偏見や差別をあおるヘイトスピーチ、女性蔑視、障害者蔑視、他民族蔑視の暴言は枚挙に暇がない。
1983年の衆院議員選挙活動期間中に、石原慎太郎の公設第一秘書が関与し、新井将敬候補のポスターに「北朝鮮から帰化」と書かれたシールを貼付して選挙妨害をした「黒シール」事件もあった。朝鮮学校に対する高校無償化・就学支援金支給制度適用に反対し、東京都の補助金支給を打ち切ったのも都知事時代の石原だ。
そんな筋金入りの差別主義者で排外主義者の極右デマゴーグを日本社会のマジョリティはひとかどの人物扱いして甘やかし続けた。もちろん批判も大きかったが、社会全体としては許容してきた。石原都政が4期13年間続き、彼が晩年まで社会的影響力を保持してきたのが何よりの証拠だろう。
多くのマスメディアは、石原の政治家としてあるまじき(もちろん人間としても許されない)暴言を「石原節」などと持ち上げ、中途半端でぬるい追及しかしなかった。今回も微温的な批判に終始しているように(現在のところは)見える。功罪両方を取り扱うとしても、罪の部分があまりにも少ないのではないか。諸外国であれだけの差別発言を繰り返す人物が社会的生命、政治的生命を絶たれないということはありえない。
特定の民族を敵視させたり,マイノリティに対する偏見や嫌悪、差別の感情を高めさせるヘイトスピーチが公人中の公人の口から語られる状況を許してきたことがどのような時代を招いたか。石原の死に際して徹底的に検証されるべきだろう。
肉体的な死を迎えた石原慎太郎に二度目の「死」を宣告しなくてはいけない。彼の思想と実践に「死」を与えるという役目を担うのは誰なのか。(相)
日中国交正常化の周恩来と田中角栄の仕事は、日中戦争、15年戦争の壮大な歴史の上の和解の気がします。未来へのレールの方向が感じます。 それと比べた石原慎太郎の足取りの扱いです。