大阪と神戸を訪れて—
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3月下旬に特集「今こそ、未来を語ろう」の取材のために、大阪と神戸を訪れた。2つの地域は全国的にも同胞が多く暮らす地域である。
神戸は、1948年の4・24教育闘争から50年を迎えた年に聞き書きをした、思い出の土地だ。
また、大阪には20代の頃、頻繁に足を運んでいた。没頭していたテーマがあったからだ。
1990年代の高体連加盟を受け、朝鮮学校をめぐる権利問題が世論の関心を呼び、大阪では学校教育法1条校に準じる処遇を求める保護者や学園関係者の働きかけが実り、行政からの補助金増額が続いていた。
在日朝鮮人の民族教育の権利というものが、
植民地支配の歴史的経緯、国際人権条約の見地からも大切で、その権利保障が国や行政の義務だということを「常識」にしようと、寝ても覚めて教育の権利を考える人たちが、大阪にはいた。
私はその方々について、大阪府の知事や私学課課長にインタビューをし、全国に先んじた姿勢と言葉に触れ、興奮しながら記事を書いた。
振り返ると、それら目に見える行動には、目に見えない無数の努力が裏うちされていたと思う。
組織内での政策論議、保護者向けの学習会、万を超える署名集め、日本市民に向けた学校開放、議員との面談…大阪では、子どもの学びを保障しようと、保護者と学園関係者が一体となり、数々の行動が積み上げられていた。会うといつも、次のビジョンを語る権利運動のブレーン・Cさんの姿は、20年たった今もよく思いだす。
20年の月日が経った今、民族教育をめぐる権利状況は厳しさを増している。2002年の拉致問題は朝鮮学校への印象を曇らせ、2010年から始まった高校無償化からの朝鮮学校排除といった、国家権力による差別に加え、下からのヘイトスピーチが朝鮮学校を追い込んでいる。
それでも現場に行けば、元気な子どもたちの姿に癒され、勇気を得るし、4世、5世の時代にも子どもたちに民族教育を授けようと学校の門をくぐる30、40代の同胞たちの姿に、時代を越えて変わらないものがあると心が温まる。
今、朝鮮学校の現場には、国際結婚の増加で日本国籍を持つ親御さんもたくさんおられるが、夫婦で話し合って、子をウリハッキョに通わせることを決断したその過程には、どれほどの葛藤があっただろうか…。
2日後の14日に発売される、月刊イオ5月号特集「今こそ、未来を語ろう」は、編集部の(理)さんが立てた企画だ。
(理)さんは日ごろから抜群のアイデアと企画力で、イオをけん引してくれる。今回の特集テーマも「時機に叶ったもの!」と採用となったが、正直、自分の中で消化に時間がかかった。一言で私自身が現実に埋没し、未来を展望できず、何かをあきらめていたからだ。
特集では、2018年に「民族フォーラム in 兵庫」を企画した兵庫県青商会の新旧メンバーに登場いただいた。
厳しい現状から目をそらさず、行動を起こし、未来を変えていこうとの強い意志に満ちた姿は、本当に純粋で、心が洗われた。
日本各地にはこのような同胞たちが多くいることを、東京にいる私はなぜ、「感じる」ことができなかっただろうか—。
現場は尊い。現場から始まる-。
そんなことを思いながら、5月号を作った。
先日、高校生の息子が「自分が子どもを通わせる時に、ウリハッキョがあってほしい」と口にした。現状への不安の裏返しでもある。
高校生活を謳歌するかれを見ていると、朝鮮学校があるからこそ、コリアにルーツを持つ子どもたちが、「出会うことができる」という自明の事実に気付く。ここがなければ、かれらは出会うこともなかった。在日朝鮮人として生まれた自分を無条件に受け入れる場が、私たちには必要だ。
今、朝鮮学校の保護者、支援者は、学校の存続をめぐって深刻な悩みを抱えている。何か策を立て、V字回復を遂げなければ—。そんな思いを新たにした関西出張だった。(瑛)