【特集】今こそ、未来を語ろう
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「未来は検索できません。多くの人が想像し、考えることの連なりが、それぞれの生活をつくっていく」―。
とある雑誌に書かれていました。近ごろ、未来や理想を語っていますか? 民族教育や同胞社会について、目先の課題も大切ですが、そのもう一つ向こうを見据えた話をしてみませんか?
たくさんの、「未来を描く言葉」を集めました。
座談会 20年後の夢を語ろう
兵庫県青商会が2018年9月に開催した「ウリ民族フォーラムin兵庫」では、同胞たちが「20年後の夢」について舞台で発表をし、1000人以上の老若男女が託した夢をロビーに飾るという夢プロジェクトが企画された。厳しい現実を嘆くのではなく、未来を考える夢プロジェクトだ。未来への道は、夢は語ることから…。元気な4人に登場いただいた。
なぜ20年後だったのか?
司会:同胞社会を見渡すと、日本政府による差別政策が続き、民族教育の権利獲得はむずかしく、朝鮮学校の運営は厳しさを増している。こんな時こそ、未来を考えることが大切だと思い、皆さんに会いにきた。兵庫フォーラムで「20年後の夢」を考えた問題意識を聞かせてほしい。
趙源模(以下、趙):「20年後」のために今、何ができるのかを一人ひとりに真剣に感じて考えてほしかった。私は息子が2人いるが、20年後の私は69歳、子どもたちが青商会世代になった時、今より「大きな舞台」を作ってあげたいという夢があった。
兵庫フォーラムのプレゼンバトル「20年後の私の夢」では、同胞社会を担う各世代から6人の代表が出場し、「豪華客船による統一クルーズ」「新薬・不老不死の開発」「大島分会タワービル」「ウリハッキョの食堂に自動料理機の導入」などとユーモア溢れる夢を発表した。子どもから大人まで、もう1回20年後の夢を目指そうと兵庫県下の全世代からメッセージを募集したところ、1000人以上の方がメッセージを書いてくれた。
私は、青商会は同胞社会の「火種」になるべきだと思っている。フォーラムでは、全国で活動している会員たちが元気になるようなテーマや、悩んでいることへの「答え合わせ」になるようなものを示したかった。…
夢を語ることの大切さ
司会:兵庫フォーラムでは、神戸朝鮮高級学校生徒たちのビコーズダンスや演奏、舞踊、プレゼンが印象的だった。千先生は舞台の演出を担当された。
千守日(以下、千):夢を考えることが大切だと思ったのは、1995年の阪神・淡路大震災の時。震災後に、西神戸朝鮮初中級学校(当時)に務めていたが、ある時、子どもたちに夢を聞いたところ、「宇宙飛行士」などの答えを想像したものの、返ってきた答えは、「早く金持ちになりたい」「結婚したい」。震災被害がひどかった長田で、両親の苦労する姿を見ていたからだろうか。夢を描いてほしいという願いを込めて、「ヨンチョリの夢」という歌を作った。
7年前、赴任先の神戸朝高で高2を担当していた頃、人生観を考える課外授業で、生徒たちに自分が暮らす地域の未来について考えてもらった。高校は悩み多き時期。頑張り屋さんでも話していて急に涙が出たり、不登校になったりと高校生は常にがんばっている。しんどい時は、いい考えが浮かばず、楽しいことを考えることは無理。進路に関しても、家が大変など、狭い範囲の中でしか思考できない姿を見ながら、心を「いい状態」に持っていきたかった。
そこでチャレンジしたのが、出身地の未来を考えるプロジェクト。「網干に同胞専用テーマパークを建てる」「5階建ての朝鮮学校を作る」などと発表する姿が生き生きとしていて…。その時の生徒たちは、自分の可能性を信じていたし、自信はないけど頑張ってみたいと、言葉の節々に希望があふれ、進路を前向きに考えていた。今、25、26歳になる子たちだが卒業後の結束も強い。「大人は夢を考えられないものか」と自省もした。それほど、子どもたちが見せてくれた景色は大きく、フォーラムでは、観客の皆さんが夢を考えられるような「脳」になってほしいと思い、ハルモニから初級部生まですべての世代の「夢話」を語ってもらった。…
私のトライ!
朝鮮学校の教員、弁護士、地域の青年商工会メンバー、理系の研究者などさまざまな分野の方々に、明日のための実践や挑戦、それぞれが描く「未来予想図」について語ってもらいました。読者から募集した夢も紹介します。
「光」でいのち救いたい
金穂香さん(27)東京大学大学院総合文化研究科 研究員
「ウリハッキョ無償化」、地域で支える子どもの学び
千葉県東葛地域青商会
2年後、新しい川崎ハッキョを
姜珠淑さん(52)川崎朝鮮初級学校校長
可能性と選択肢広がる未来を
李春熙さん(42)弁護士
あなたの夢は何ですか
大学生・大学院生に聞きました!
4月から新学年度です。希望を胸に学ぶ同胞大学生・大学院生に将来の夢や目標について聞きました。
①経済研究で祖国との架け橋に
張景瑞さん(25)朝鮮大学校研究院
②教育現場で、同胞社会担いたい
朴世奈さん(19)朝鮮大学校教育学部2年
③同胞医療機関の薬剤師に
姜美羽さん(22)大阪医科薬科大学 薬学部5年
④「声なき声」を伝えたい
黄桂範さん(20)関西学院大学 総合政策学部3年
⑤ウリハッキョの保健分野に貢献を
李珠仙さん(20)東京医療保健大学 看護学部3年
寄稿 在日朝鮮人として生きる未来
私たちの主体的な時間軸を持とう
康宗憲 ●韓国問題研究所所長
かん・じょんほん●1951年、奈良県生まれ。在日朝鮮人2世。1975年、ソウル大学医学部に留学中、「北のスパイ」である疑いをかけられ、国家保安法違反容疑で拘束、その後に死刑判決が確定。無期懲役に減刑され1988年に仮釈放、翌年に日本へ戻る。2012年、再審請求が認められ、13年にソウル高裁で無罪判決。15年8月に大法院で無罪が確定した。著書に『死刑台から教壇へ 私が体験した韓国現代史』(角川学芸出版/2010年)がある。
私の青春—死刑宣告と監房で見た未来
在日朝鮮人2世として生まれ高校まで日本の学校教育を受けた私は、せめて大学は祖国で学びたいと思いソウル大学医学部に留学する。言葉や文化だけでなく、新たな社会への理想を祖国の若者たちと共有したかったからだ。当時の朴正煕政権は民主化を求める学生たちを抑圧し、私も1975年に反共法・国家保安法違反の容疑で拘束された。学内の進歩的なサークルに参加していたに過ぎない一介の学生を、当局は在日朝鮮人留学生という理由から「スパイ団事件の首謀者」に仕立て上げ、死刑判決を宣告する。24歳の私は、ソウル拘置所で最年少の政治犯死刑囚になった。
監房内にはカレンダーや時計がない。時間と空間を刑務所当局が支配する。囚人から時間や歳月の感覚を奪い、自律的な生活設計を不可能にするためだ。常に過去の「罪」に向き合うことを強要し、理想や信念を揺るがせ未来への展望を持てなくする。だが、軍事独裁の統治する暗黒の時代にも、監獄への道を選択する青年たちが後を絶たない。社会の矛盾に目をつむり大学を卒業すれば将来が保障されるのに、彼らは一個人の安楽よりも、万人の尊厳が豊かに息づく社会を願ったからだ。学生運動や労働運動に参与して堂々と入獄する青年たちの姿から、私は祖国の未来に希望を抱いた。そして民族分断の痛みを共有する一人の在日朝鮮人として、自らの青春を祖国の監獄に埋めた。…
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