教育と学問の自由は、どこへ― 映画「教育と愛国」/斉加尚代監督に聞く
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5月13日から公開予定のドキュメンタリー映画「教育と愛国」は、怖い映画だ。押しよせたこの感情のありかは、この社会に漂う空気感に通じる。「歴史から学ぶ必要はない」と言い切る元大学教授、政権の息がかかった官僚がポストアップしていく様…。
一方で歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた元編集者の寂しげな晩年は、何を意味するのだろうか。斉加尚代監督は、教育に対する「政治の急接近」に危険を感じ、切羽詰まる思いでこの映画を作ったと話す。(聞き手:張慧純、月刊イオ2022年5月号から転載)
―斉加監督は、公立学校の保健室やコリアにつながる子どもたちを教える民族学級の営みを取材しながら、大阪の教育現場をずっと見つめてこられました。
2008年に橋下徹さん(日本維新の会の創設者)が大阪府知事になり、11年から本格的に教育改革に乗り出します。大阪維新の会の「改革」の内実は、競争至上主義と再編整備という名の公立学校の合理化、教員の選別でした。
民族学級の歴史が物語るように、大阪の先生たちは目の前の子どもたちを懸命に育ててきましたが、「改革」がもたらしたテストの平均点による学校の序列化などで疲弊しています。大阪朝鮮高級学校を訪れた直後に補助金を切るという、生徒を裏切るような府知事の政治手法にも恐ろしさを感じました。ところが敵を作り、ワンワードで問題を短絡化させる手法に喝采を送る人も多いのです。
06年の第1次安倍政権下で教育基本法が改正され、戦後初めて「愛国心条項」が盛り込まれます。それ以降、「教育改革」「教育再生」というスローガンのもと、教科書検定制度に目に見えない圧力が増していきます。
「美しい国」といった賛美の言葉が流通し、現実を直視しない人が増えていったと思います。日本軍「慰安婦」や沖縄戦を記述する教科書を採択した学校に押し寄せた大量の抗議ハガキはその一例。学問の成果を無視し、政府の統一見解に則り教科書を記述する動きが加速し、強制連行や「従軍慰安婦」の用語が消えていく。政治主導が進む大阪は、コロナ禍で学校現場がさらに混乱しました。
20年10月、日本学術会議の新会員任命拒否の問題が勃発した時、教育と学問の自由がここまで脅かされる現実を前に、危機感から「人生最大のギア」が入り、17年に放送した「映像’17 教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか」の映画化を決心しました。
―映画は、MBSドキュメンタリー「映像」(1980年~)シリーズに登場し、実名で日本による性奴隷被害を訴えた韓国の金学順さんの姿も描きました。
植民地支配時の加害の事実に日本が向きあったのは1990年代のことで、97年に初めて「従軍慰安婦」という言葉が歴史教科書に記述されます。映画では、「慰安婦」問題を教え続ける中学校教員が猛バッシングを受ける事態も描かれています。
学問的知見から教科書に記述されても、「従軍慰安婦」という言葉自体を問題視し、排斥していく人が増えていきました。自分たちにとって「英雄」である日本軍兵士が、女性の性を道具にしていたという事実を突きつけられることは、戦争を美化したい人にとっては、不都合だったのでしょう。
背景には経済問題もあります。
日本が中国に国内総生産(GDP)世界第2位の地位を奪われた2010年辺りから、日本人は自信を失っていったように思います。12年には第2次安倍政権が誕生。歴史は複雑で重層的なのに、政治家が都合よく歪曲し一面的な見方がさらに拡散します。大阪は教育もメディアもその歪曲に加担する維新色に染まっています。
―『教育と愛国』というタイトルに込めた思いを聞かせてください。
教育とは誰のものか―。
この映画で問いたかったことです。子どもが「自分は自分でよい」と自尊心を持ち、他者を尊重できる人間に成長することが、教育の普遍的価値だと私は思います。
愛情も普遍的な価値ですが、愛に「国」が結びつくと、排他的になっていきます。教育に政治が入り込み、誰かを敵に見立て、国益や利益を優先させるやり方は、非常に危険だと感じます。最悪の場合、行きつく先は戦争だと言えます。このまま教育に政治介入が進んでいくと、子どもはどんどん苦しくなる。
教育とは、お互いに生き合うためのもの。
人生でつらい時に、前を向ける言葉が浮かび、踏ん張る力を発揮できる、それこそ大事な教育だと思います。この映画が、教育と政治について議論するきっかけになればうれしい。知るところから一歩が始まり、語りにくいことを語りだすことから、人々の力が横につながっていくと信じています。
ドキュメンタリー映画『教育と愛国』
歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた大手教科書出版社の元編集者や、保守系の政治家が薦める教科書の執筆者などへのインタビュー、新しく採用が始まった教科書を使う学校や、「慰安婦」問題など加害の歴史を教える教師・研究する大学教授へのバッシング、さらには日本学術会議任命拒否問題など、大阪・毎日放送(MBS)で20年以上にわたって教育現場を取材してきた斉加尚代ディレクターが、「教育と政治」の関係を見つめながら最新の教育事情を記録した。教科書は、教育はいったい誰のものなのか……。
斎加尚代監督の近著「何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から」/4月15日に発刊