同級生のオモニ
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先日、北海道朝高時代の同級生が子どもの백일잔치(ペギルチャンチ=生まれて100日のお祝い)に招待してくれた。かのじょは結婚し、現在関東に暮らしている。
チャンチには自身のオモニとオンニも参加するという。その場に集まる誰とも血がつながっていない人は自分だけなので恐縮しつつも、お呼ばれするなら立場を100%活かそうとミラーレスカメラを持参した。
同級生のオモニ、オンニと会うのは朝鮮大学校の卒業式以来で約10年ぶり。その時もゆっくりお話ししたわけではなく挨拶を交わす程度だったので、再会を前に緊張が膨らんだ。
さて当日。同級生の家につくと、まず大皿に盛られた大量の唐揚げとチャプチェが目に入った。そして同級生オモニの快活な笑顔。
その瞬間、むかし同級生の自宅で夕飯をご馳走になったこと、その時もモリモリのおかずを作って待ってくれていたことを一瞬にして思い出し、緊張が懐かしさに変わった。
家族のお祝い写真を撮ったあと、さっそくお昼にしようということで食卓につく。
この日の主人公である同級生の子どものこと、夫婦の役割分担といった日常生活のこと、それぞれの仕事のこと、と会話が弾んだ。
面白かったのは昔話。同級生オモニは私のアボジの1歳上で、北海道初中〜東北朝高でともに学校生活を送った。
記憶力が抜群な同級生オモニ。普段は聞くことのない、私のアボジの少し恥ずかしい話が聞けたことは収穫だった(アボジは自分の武勇伝しか話さない)。語りの構成が上手なので、当時のいろんなエピソードを聞きながら終始みんなで大笑いしていた。
たくさん食べて笑ってお祝いし、最後には同級生の子どもとも打ち解け、帰路についた。
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少し話が逸れるが、イオ6月号の特集は「弱った心の見つめ方」である。コロナ禍、日常でメンタル不調を感じる人が増えている。自分の変化に気づき、小さくともそれに対処できる考え方を伝えようという企画だ。
同胞専門家の方々に協力いただき、ストレスそのものに対する理解、ストレスに対処する方法や考え方、各種相談窓口を紹介している。
関連記事が次々と上がってくる中、とある箇所に目が留まった。ストレスへの対処法について解説している内容で、誌面では具体的な方法が10個取り上げられるのだが、その一つである。
周囲の人たちを思い浮かべる
不安な時やつらい時、「そんなに仲良くないけど」などの評価は一切せず、とにかくたくさんの人を思い浮かべて紙に書き出してみると、孤独感がやわらぎ温かい気持ちになれるのだそう。
咄嗟に思い浮かんだのが、同級生オモニの顔だった。
生活していると、なんだかモヤモヤすること、激しい悔しさややるせなさを感じ時間が経っても解消されずくすぶり続けていること、なぜか心が揺れて涙が出そうになること、色々な感情と対峙する時間がある。
誰かに話したいとは思っても、家族には心配をかけたくない、友達や同僚にも重荷になるかもしれない、かといってSNSには書き込めない、会ったばかりの人にも話せるはずがない、また、自分でも自分の気持ちをよく分かっていない、理解してもらえないかもしれない—結果、誰にも相談できないなと思う時がある(それでも家族と電話していて、感情だけをぶちまけてしまうこともあったが…)。
しかし、同級生オモニの顔と上の対処法がつながった瞬間、なんだかものすごくホッとした。
同級生オモニとはこの10年間、一度も連絡を取ることはなかったし、それまでも頻繁に家へ遊びに行ったり、長い時間お喋りをする関係性だったわけではない。
それでも、親同士が幼い頃からの顔なじみで、子どもが同級生というだけで、会うと無条件の笑顔と労いの言葉を向けてくれた。
純粋に(すごいな)と思う。同時に、そんな風に私のことを気にかけてくれたり記憶してくれている人は、こちらが考えている以上に、そして覚えている以上にたくさんいるのかもしれないと感じた。
そう考えると、出張先でよく会うイルクンや保護者の方々、定期的に誌面やブログへの感想を送ってくれる人、そしてもちろん友人たちや親戚、家族。今さらながら、自分がたくさんの人間関係に連なっていることに気がつく。
これから先なにかあった時、もしも直接相談することはできないとしても、こうしたつながりがあること自体にきっと励まされるだろう。常に手をつないでいなくても支えになる関係性というものがあるのだと知った。
時が経って、いつか自分も誰かの「同級生オモニ」的存在になれたら嬉しい。(理)