朝鮮学校へ子どもを通わせるということ
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4月末に、我が子が通う朝鮮学校の授業参観があった。
コロナ禍で2020年、2021年も春の授業参観が中止になったので、実に3年ぶりの春の授業参観だった。
私が参観した授業は国語(朝鮮語)と算数。
初級部の高学年からは一人1台タブレットを購入して、授業でも使用しているとのことで、実際に使っている姿も見ることができた。
テレビとパソコン画面をつないで、連動させながら授業をしている様子は、新鮮だった。
算数の小試験で5分間という時間をタイマーのようにテレビにリアルタイムで表示させながら、解いているのをみて、OHP世代全盛期の私は同級生のオンマと(すごいですね!)と顔を合わせながら驚いていた。
今年度からは校長先生も新しく変わり、新しい先生も赴任された。
オモニ会、アボジ会、教育会理事たちも新しくなり、実際に顔を見合わせて話を聞けるのはとてもありがたかった。
朝鮮学校の現状や、雰囲気についても、足を運んでこそ、わかることがあるから。
久々の春の授業参観は、とても意味のある場に感じた。
ある日のこと、テレビに韓国の俳優がインタビューされて答えてた。
それを聞いた我が子が、「あ、ウリマル話してる!」と反応した。
私も、「お、わかるなんて、さすが!」というと子どもはこう答えた。
「オンマ、ナ(僕)は朝鮮人になるために、朝鮮学校行って、
朝鮮語習ってるんだから、わかるのあたりまえでしょ!!」
子どもが自発的にさらっと出てきた言葉に、感動した。
その感動を同じ学校に通わせてる実姉に伝えると、共感してくれた。
「ほんとにね、お金はかかるけど、朝鮮学校に通わせる意味はあるよね、
幼いころの教育というのは、後からは取り戻せないものだから。」と。
今後、大人になって日本社会を生きる上で、土台になることは間違いない朝鮮学校での日々。
1年生から子どもを朝鮮学校に通わせる意味をまた、改めて感じた子どもの一言だった。(愛)