幽霊のブローカー(自分をメモする③)
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生活の中で感じたことや気になったことをスマホのメモアプリに記録している。メモが溜まって、過去に2回このブログでも内容を紹介した。
前回からそろそろ10ヵ月が経とうとしている。また少しメモが増えたのでアウトプットしていきたい。
もしずっと松村さん松村さんと、その一方の名前だけが呼ばれる環境だったら自分の内面も変わってしまうのか?
これは飲食店の予約を通称名でした時にふと感じたことだ。在日朝鮮人をはっきりと自称している現状があっても、もし松村さんとしか呼ばれないシチュエーションになったら、自認もだんだんと「松村さん」になってしまうのか? 答えはそうなってみないと分からないが、小さな不安を感じたからこういうメモを残したのかもしれない。
夢 行ったことない場面なのに感情がある
少し前、夢から覚めた瞬間に(いま、すごく感情があったな!)という余韻があり、夢の中でも心が動くことを初めて意識した。これまで数十年間、無数の夢を見てきたし、思い出してみると過去にも夢の中で恐怖を感じたりもしていたことに気がつくのだが、こうしてはっきり自覚したことはなかった。改めて考えてみると不思議だ。
その日の夢で自分は行ったことのない場所で会ったこともない人と話しており、焦りや喜び、応援したい気持ちなどを感じていた。
夢は、睡眠中に脳がさまざまな記憶情報を整理することで見るものだから、経験がないと思っているものも実はどこかで見聞きしている事柄の一端ではあるのだろう。しかし、現実にはなかった組み合わせの場面で生じるそれは、寝ている自分の感情なのか、過去に自分の心の中で起こった感情の記憶なのか…と、頭がぐるぐるしてしまった。
合奏時は考えるというより、感じる/受け身の方が強い
中・高と吹奏楽部に所属した。私は合奏が好きで、みんなが奏でる音に包まれていくことがとても心地よかった。個人的に、合奏の時間はなにかを言語的に考えるというよりも音やイメージに浸されるというか、受けとる感覚が働いていたように思う。
今でも吹奏楽やオーケストラを題材にした作品を見るのが好きだ(漫画、映画、ドラマ…)。少し前にも吹奏楽と関連する映画のプロモーションを見て、久しぶりに合奏時特有の感覚を懐かしく思い出したのでメモしておいた。
おびやかされないと分かっているから無視できる
それを失わないと信じているから侮れる
弱者をどんどん切り捨てていく現政権について批判する言説、不正を問う言説はたくさんある。しかし、その声を無視したり、かき消したり、さらにはあざけ笑う政治家もいる。SNSやニュースを見ながらそうしたことを感じ、メモしておいた。
一方で、日常生活でもたまにこうした態度の人に遭遇する。自分よりも立場が弱いと判断した相手にだけ見せる強権的な姿はとても怖いし、過去に悔しい思いをしたこともある。
「外に出すという感覚をリエが教えてくれた」
シアボジのiPadと操作
少し前に夫の実家へ行った時、シアボジ(夫の父)にiPadの操作方法について色々とレクチャーしていたのだが、その中で「ホームボタンを2回押して、浮き出てきた画面を上にスライドすると、いま起動しているアプリを終了することができる」ということを実践して伝えたところ、上の言葉を言われた。シアボジのこの言葉選びが私にとっては新鮮で、印象的だったのでメモした。
iPadなどの機器に苦手意識を持っているシアボジだが、目の前でやり方を伝えると、ちゃんと自分の体と言葉で現象を理解していた。些細なことかもしれないけれど、目の前にいる人が新しいことを確実に一つ学んだ、その瞬間を見たことにも感動したのかもしれない。
いろんな幽霊がいることに気づいた
私は霊感がゼロなので怪談本でしか知らないが、なにやら幽霊の姿や影響力は一律ではなく、ものすごく多様なようである。ある幽霊は普通の人と変わらない姿をしており、ある幽霊は普通に腐っており、ある幽霊は人間に怒られたら消えてしまうほど気弱なのに、ある幽霊は時に人間に物理的に干渉できてしまうほどの恐ろしい力を持つ。
この差はなんなのか? あの世からこの世へ幽霊を連れてくるブローカーのような存在があるのか? それにはさまざまな業者があるのか? だとしたら死者はなにかの対価を払わなければならないのか? だから姿や能力がピンキリなのか?
…謎は深まるばかりだ。
自分の中には表現する人への嫉妬の気持ちが確かにある、と確認した
読書中、いちいち読む手を止めてしまうことがある。筆者の言葉選びや表現に目をひらかされて(自分だったらどう書くだろう)と焦ったり、(自分はこんな風には書けなかっただろう)と悔しくなったりしてそのまま読み進められないのだ。
頻繁にあるわけではないが、しばらく前からちらほらとそういうことがあって、恐らく…という感じで上のようにメモしておいた。
見知った言葉、使いやすい言葉、(流行していて)伝わりやすい言葉などに頼ってしまうことが多いけど、自分の頭で考えて練り出された言葉はやっぱり人の心に残る
世の中には流行語、時代語、専門用語、いろいろあって、その言葉を使わないと展開できない話題や内容もあるにはあるのだが、言葉は定期的にその意味を確認しないとすぐに違った解釈が混ぜ込まれたままになってしまったり、いつのまにか表面的になってしまっていたりする。
自分の本当に言いたいことはなにか、それに合う言葉はどれか、さぼらずに考え続けていくことが大事だなと考えてメモしたが、どんなきっかけでこれを思ったかは忘れてしまった。
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こうして出力してみて気づいたことだが、今回は不思議と自分の気持ちや、言葉に関して考えるメモが多かった。
スマホメモ、自分を定点観測しているようで面白い。(理)