5年分の「11.7」
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考えをまとめるのが遅いので、日刊イオの文章は大体いつも余裕をもって数日前から着手している。しかし最近はなんだか頭が飽和状態で何を書いたらいいのか分からないため(書きたいことの断片はたくさんある)、奥の手を引っ張り出してきた。日記である。
私は2014年からPCで日記をつけている。正月とか誕生日といった節目ではなく、中途半端な時期に突然始めた。以下が1日目の文章だ。
2014.5.26 mon
前にラジオでやってた。一日に一行ずつ書いていく日記があるんだって。5年分の。だから、何年前の同じ日に自分が考えていたことが一目でわかるようになる。今日突然思い出したから、これからやってみよう。これなら負担じゃない。雄弁な日は二、三行書いてもいいよ。
マメな方ではないので、書くのを忘れてしまい、あとになって数日分を必死に思い起こしながらあたかもその日のことのように記すという邪道な行為も数えきれないほどしたが、それに目をつぶるなら今日まで一日も欠かさず続けている。
「何年前の同じ日に自分が考えていたことが一目でわかるようになる」。この点に惹かれて始めたわりに、考えてみるとこれまで改めて振り返ってみたことがなかった。ブログのネタにもなるし、これを書いている今日(11月7日)、過去の自分は何をしていたのか掘り起こしてみたい。
期間は日記を始めた2014年からの5年間とした。文中の個人名は伏せることにする。説明が必要な部分は補足を加えた。
2014.11.7 fri
撮り忘れたマイランチの写真を撮りに夕方、文科省前へ。〇〇ちゃんもいた。大人っぽくなって。△△監督もいて覚えてくれていた。名刺渡して、少し話した。韓国からの支援団体とオモニ、朝大生たちで声を上げる。金曜行動はやっぱり見ているとぐっとこみ上げる。夜は家でモツ鍋もどきを食べた。
マイランチとは当時の連載のタイトルである。取材時に対象の顔写真を正面から撮るのを忘れてしまったため、後日約束して撮りに行ったのだ。〇〇ちゃんというのは父方の従妹のこと。幼い頃から知っているので、朝大生として金曜行動に参加している姿を見て新鮮に感じた。最後の「モツ鍋もどき」に果たして何が入っていたのかは思い出せない。
2015.11.7 sat
群馬の原稿どうにか終わらせて、急遽入った〇〇の取材で鷹の台へ。久々に会って話したけど、面白い人だった。やっぱり美術している人の話は刺激的。終わって鷹の台駅前の二幸という中華屋へ。たまにはしっかりご飯食べるのもいいかもね。王子郵便局の手違いでゆうぱっく届かなくてまじ久々に激怒。
2016.11.7 mon
昨日食べ過ぎて胃からすえた匂いがする気がしてマスク出勤。お昼も飲むヨーグルトのみ。夜は同心房にピータン粥があったから食べた。美味しい安い近いで最高。記事は残り少しなのに全然はかどらない。一番大きな「暮らしはいま」は明日完成させよう。スタバに寄ってスノーピーカンナッツラテを飲む。至福。
同心房は当時よく通っていた近所の中華屋さんである。一人暮らしの頃は自炊を滅多にしなかったため、いろんな飲食店にお世話になった。仕事のことと食べることしか出てこないので心配になって前後の日にちも見てみたが、やはり仕事のことと食べることしか出てこない。こんなにのんきに日々を過ごしていたのかと驚く。
2017.11.7 tue
ヘアメイク〇〇さん取材。2歳上なのに哲学がしっかりしてて素敵な人だった。やっと記事も進み始める。原稿残ってるけど19時に支部で稽古。身体が震えたけどやっと自分の中の何かを一つ打開できた! 正浩ソンセンニムと△△オンニにも少し褒められた。帰りに□□さんといつもの練習に付き合ってもらう。
この年、劇団アランサムセ(1988年当初「母国語による在日同胞の生き様の表現」をテーマに旗揚げされた在日朝鮮人による劇団)の舞台に出演することになり、仕事終わりは支部事務所で稽古をしていた。
※同劇団の主宰であるため、朝大・金正浩先生のお名前はそのまま掲載した。
2018.11.7 wed
局長に呼ばれて12月2日から取材でソウル行が告げられる。嬉しい! 原稿書き上げ、写真なども全て入手。今月号の仕事は終わり。次はもっと早めにしたい。できれば早くジョギングも習慣化させたい。帰りに三ノ輪で豚骨ラーメン食べて池袋でいくつか買物して帰宅。ダラダラネットして23時過ぎに就寝。明日締切。
この頃は運動を頑張っていたのだった。週に3回、多い時は4~5回、音楽を聴きながら自宅周辺をジョギングしていた。もちろんこの後、習慣化は…されていない。一時の盛り上がりだったようだ。すっかり運動不足の日々である。
またこの年、取材で南に行けるという貴重な経験をさせてもらった。
内容は月刊イオ2019年1月号に掲載された(こちらから試し読みできます)ので、興味のある方はご購入のお問合せを。
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入社して5年目くらいまでは、やはり基本的にはのんきに生きていた。上にも書いたように、6年目を前後して思いもよらなかった仕事をさせてもらえるようになり、またこの頃から私生活でも変化があった。家族をはじめとする周囲の人たちと向き合う時間や密度も変わって、少しずついろいろなことを考えるようになってきたと思う。
5年後にはどんなことを書くようになっているのだろう。自分のことなのに自分でもまだ想像がつかない。とても楽しみである。(理)