「今さら来ても遅いよ」
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「何しに来たの?」「今さら来ても遅いよ」「もう雑誌の名前を『イオ』じゃなくて『ウリヌン イオガジモタゴイッスムニダ』にしたらどうですか?」「別に記者に来てほしいなんて思ってませんから」
これらは出張先でかけられた言葉だ。いずれも一人が発したものだが、その方と近い(同胞社会縮小への焦りを肌で感じざるを得ない)立場にいる方は少なからず同じような気持ちを抱いていたかもしれない。その場で「そんなこと言わないの」などと注意する言葉は特に聞かれなかった。
当然ショックを受けたし、宿泊施設に帰ったあと、さらに落ち込んだ。言われたのは出張1日目の夜だったので、明日からちゃんと取材ができるだろうかという不安と、先ほどの言葉の重みがどんどん増してきてしばらく眠れなかった。
翌日からはたくさんの同胞に出会って様々な話を聞き、無事に出張を終えられそうだったが、最終日になってもやはり冒頭の言葉は忘れられなかった。
時間が経つにつれて(また嫌なことを言われないだろうか)という警戒心や(なんであんな閉鎖的な空間でそこまでキツい言葉をぶつけられなければならないんだろう)という反発心や悔しさも生まれてきていたのだ。
しかし現地を発つ前、とある同胞から聞いた話に、むしろ激しい自省の気持ちがわいた。
朝鮮学校に通う子どもの数がどんどん減っていること、改善のための外側への要求がなかなか受け入れられず行き詰まっていること、その中でも一丸となり数年前に同胞行事を企画したのに、当時は取材にも来てくれなかったこと…
行事があることを知らなかったというのは言い訳にしかならないだろう。
私たちは当然のように日本全国へ「イオ」を発送しているが、地方一つひとつ、そこに暮らしている同胞たちの生の声にどれだけ耳を傾けているだろうか。
もう10年近くも取材へ行っていないのに、読者カードを送って下さる地方の同胞もいる。「今、つながりはイオだけです」という言葉にもっと真剣に向き合わなければならない。
「もう雑誌の名前を『イオ』じゃなくて『ウリヌン イオガジモタゴイッスムニダ』にしたらどうですか?」ー
言われた時は(ひどい言い方だ)と感じたが、確かに胸を張って全国の同胞をつないでいると言えるだろうか?
編集部の人数など、ハード面での難しさはあっても、地方にアクセスする方法は工夫次第でいくらでもある(そのために総聯組織があるのだし、現場はいつもどこかしら動いているし、同胞たちが生きているし)。
今では、あそこまで強い言葉をかけて下さった同胞に感謝していると言っても過言ではない。あれくらいのショックがなければ頭でっかちのまま、自分の目の届く範囲で仕事をすることに満足しているままだったかもしれない。
気持ちを吐露することだって、かなりの気力を消耗する行為だ。本当にどうでもよければ、表面的な笑顔を作って本質的なことは特に語らずそのまま記者を帰しただろう。
もちろん、純粋に「イオから取材に来てくれた」と喜んで下さる方々もいる。表現方法が違うだけで、現地で出会う同胞が語ってくれることすべてに価値がある。
ただ使われてきたからという理由だけで「イオ」を名乗るのではなく、その名前に今も込められ続けている期待や要望に日々応えてこそ、より身近で親密な雑誌として同胞たちの中に広がっていくのだと思った。(理)