帝国は何をしてきたか―映画『RRR』を見て
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現在公開中のインド映画『RRR』を見た。
監督は、『バーフバリ』シリーズを手掛けたS・S・ラージャマウリ監督。
インド史上最高となる7200万ドル(97億円)の製作費が投じられた『RRR』は、Netflixで4700万回視聴され、非英語の映画として10週連続でトップ10入りを果たしているという(日本での配信はなし)。
ネタバレしないように、本作のあらすじを公式サイトから引用する。
舞台は1920年、英国植民地時代のインド 英国軍にさらわれた幼い少女を救うため、立ち上がるビーム(NTR Jr.)。
大義のため英国政府の警察となるラーマ(ラーム・チャラン)。 熱い思いを胸に秘めた男たちが“運命”に導かれて出会い、唯一無二の親友となる。
しかし、ある事件をきっかけに、それぞれの”宿命”に切り裂かれる2人はやがて究極の選択を迫られることに。彼らが選ぶのは 友情か?使命か?
映画はまず、「STORY」の章で少女が誘拐され、「FIRE」でラーマの紹介、「WATER」でビームの紹介―と展開されていく。
ビームとラーマの紹介シーンは序章にも関わらず、クライマックス?と思うほどの圧巻の映像だった。
マトリックスさながらのド派手なワイヤーアクションや初めて見る肩車アクション、ジョン・ウィック顔負けの射撃命中率、マーベルなど大手のハリウッド映画に引けを取らない映像技術と音楽。エンタメとしてかなりレベルが高くて驚かされた。
筆者のお気に入りは、やはりインド映画ならではのダンスシーンだ。
ひょんなことから英国政府のパーティーに呼ばれたビームだが、英語も英国流の社交ダンスもわからず、大勢の前で「褐色人種のくせにパーティーに参加するな」と罵られてしまう。その時ラーマが、黒人(おそらくアラブ系)の使用人が落としたプレートをドラムに見立ててリズムを刻み、インド流のダンスバトルで白人のダンスパーティーを支配するのだ。このダンスはかなり中毒性があり、「ナトゥナトゥダンス」として話題になっている。
ダンスが楽しそうなのはもちろんのこと、有色人種の団結と、底辺からの憤怒がこもったドラムがエネルギッシュでかっこよかった。
本作は、実在した英雄が出会い、大英帝国の植民地支配に抗い、勝てたら―という「歴史修正もの」でもあり、胸アツなバディものでもある。インド映画の特徴なのか、表情やシーン一つ一つを劇的に撮っており、感情表現は朝鮮映画に似ているかもと感じた。
上映時間は3時間だが、退屈や疲れを感じる暇がないほどパワフルに作りこまれており、日本、米国、韓国の映画サイトを見ても、かなりの高評価なので、まだ観ていない方はぜひ劇場に足を運んでいただきたい。
【ここから少しネタバレ】
さて、同作品、予告でも「全細胞沸き立つパワフルエンタメ」とあるように、前述したとおりのド迫力映画ではあるが、タイトルの『RRR』は「Rise(蜂起)」「Roar(咆哮)」「Revolt(反乱)」を意味している。
米国、日本、韓国の映画サイトのレビューをざっと見たところ、やはり高いエンタメ性を評価し「楽しかった」「かっこよかった」という表層的な評価が多いように見えた。また、「(戦い方やストーリーの運びが)ありえない」などのレビューもあったが、筆者がこの映画で感じたことはただただ「帝国は何をしてきたか」である。
帝国が他国、他民族を抑圧、支配する―というのは、直接的な弾圧だけでなく、敵対する必要のない人びとを分断し、映画のメインビジュアルにもあるように「友情か?使命か?」または「命か?」の選択を強いてきたのである。
祖国愛、同胞愛、大義と犠牲―この葛藤は朝鮮人含め、被抑圧側の歴史に大いに当てはまるだろう。
同胞を愛し、大義を成し遂げるために「大英帝国の犬」となったラーマの葛藤や、兄弟のように仲を深めた2人が決闘をするシーンは、涙が止まらなかった。
女性の描き方が受動的だったこと、結局歌ではなく武力で革命を起こしたことなど、「ツッコミどころ」はもちろんある。
しかし、「抑圧してきた側」の国の人びとには特に、この映画を「爽快アクション」や「リアルじゃない」という表層的な部分ではなく、「帝国は他国に、他民族に何をして、どう分断したか」に重きを置いて観てほしい。(蘭)