久しぶりの墓参で思ったこと
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先日、祖父母と父が眠るお墓を訪れた。コロナ禍で足が遠のいていた。久しぶりのお墓参り。
「夫と同じ墓には入りたくない」
祖母が生前、ことあるごとにそう話していたことを知ったのは5年前。96歳で亡くなった本人の葬儀の場でだった。
「同じ墓に入れてくれるな」とは、かなり強い拒否反応だ。祖母がそこまでのことを言うに至るまでに一体どんな経緯があったのか。先人たちの名前が刻まれた墓石を見るたびに考えている。
昔の記憶をたどる―。
祖父は儒教的家父長制の代表選手のような人だった。家では絶対的な存在としてふるまっていた。気に入らないことがあると、食卓をひっくり返すこともあった。かすかだが、自分の脳裏にもその光景は刻まれている。
夏休みや冬休みを使って祖父母の家に遊びに行くのが好きだった。祖母はやさしかった。祖父はこわもてだったが、孫にとってはやさしくてお小遣いをくれるいいハラボジ(祖父)だった。でも、私は父方のファミリーヒストリーを表面的にしか知らない。祖父母も父も自分の身の上について積極的に話す人ではなかった。話はもっぱらおじやおば、そして母が聞かせてくれた。
生前、父からは家族史について祖父母に聞き取りをしろと口酸っぱく言われてきた。その意義についていまいちしっかりと理解していなかった私は父の話をときに疎ましくさえ思っていた。今では、祖父母から、そして父から、いい話も悪い話もたくさん聞いておけばよかったと悔やんでいる。
「16歳の時、近所の大人から『おまえ結婚せえ』と言って相手を紹介された。私は学校に通えなかったし、字もわからない。昔は口減らしのために娘を嫁に行かせた。16歳で結婚なんて今ならありえへん。笑うやろ」。先日、取材で接した1世ハルモニの話。結婚して子どもをたくさん産んで、苦労して育てて―。美談として語られてきたストーリーからこぼれ落ちてきたものに、果たして自分は目を向けてきたのだろうか。取材現場でも在日同胞の家族史をどう聞くか、どう活字にするか、考えることが多い。
先日のお墓参りには、3歳になる息子を初めて連れて行った。幼児にとっては墓地も遊び場だ。「キャッキャッ」と場にそぐわないテンションで走り回る3歳児をなんとかなだめながら、家族の墓について話してあげた。息子が大きくなったとき、自分の来歴について深く知ることができるよう、家族史をまとめておく必要性を感じた。さいわい、話を聞ける相手はまだ残っている。(相)