実家で頭を空っぽに
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今年は久しぶりにまとまった期間、実家に帰ってきた。社会人は長期休暇がないので、ここ10年ほどは実家に帰っても(あと〇日でまた東京に戻らないといけないのか…)と常にタイムリミットを気にしなければならなかったが、今回はそうした、実家にいる間もずっと寂しさが薄くつきまとう、というようなことはなかった。
むかし読んだ本が収められている本棚やオモニの手料理、茶の間や仏間に飾られている家族写真など懐かしいものに囲まれ、外に出れば中学時代の同級生と再会して互いの近況や思い出をシェアし合った。海や雪や馬といった、幼い頃から身近にあった風景が改めて好きだと感じた。
またある日の夜、実家のお風呂でゆっくり湯に浸かっていると、家の外から大人たちの拍手と笑い声が聞こえてきて、懐かしさのあまり「うわー!」と声が出た。実家の周りはスナック街になっており、子どもの頃お風呂に入っていると、時に音程の外れた豪快なカラオケの声や笑い声、拍手がよく響いていたのだ。
一瞬、小学生に戻ったような感覚になり、そのあとで(昔はなんにも考えていなかったな~)と思った。酔っ払いの声が聞こえてきたら、ただその声を聞きながらぼーっと湯に浸かる。最近の自分はこの「ぼーっと」があまりできなくなっていた。
社会人になってしばらくの間は「家に帰ったら仕事のことを一切考えないようにする」というマイルールを決めていた。(例えば外部筆者に原稿を依頼している場合など)自分が考えても進捗が変わらない仕事もあるし、毎日しっかり切り替えないと頭が疲れてしまうと考えていたからだ。
しかし、仕事を管理できなかった自分のせいなのだが、作業や確認事項が積み重なったり、締切が近づいてきて急ぎのため仕事関係の連絡が夜まで続くというようなことが増えていくうちに、だんだんと当初のルールを忘れていった。
実際には進まないのに、今後の進捗のシミュレーションを何度もしたり、でも予測不可能なこともあるので、頭の中の自分は想定と現実を行ったり来たり落ち着かず、不安のためさらに何事かをぐるぐると考えることが習慣になってしまっていた。
子どもの頃は、次の日に悩みを持ち越さない性格、あるいはそれを可能にしてくれる環境があったのだなとしみじみ。大人には責任も伴うし、時に夜まで作業を頑張って仕事をよりよい結果に導き、そのことで成長ややりがいを感じる場面も多い。何よりも、忙しいなか夜に時間を捻出して対応して下さる方には頭が上がらない。やるべきこととのバランスを取りつつ、適度に頭を空っぽにする時間も大事にしなくてはいけないなと感じた。(理)