横浜で「朴民宜さんと尹正淑さんのお話」
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1月30日、横浜の関内で行われた「関東大震災時朝鮮人虐殺の真実を知り追悼する神奈川実行委員会2023年度定期総会」は、素敵な詩と絵に囲まれて開催された。
展示された作品は、画家の朴民宜さんが絵を、童話作家の尹正淑さんが詩を手がけ、月刊イオで2020年に連載された「オモニのうた」の12点と新作「のんきなうた」をはじめとする5点。来場者は開会前や合間に展示を観て回り、詩と絵が紡ぎ出す温かな世界観に浸った。
総会の2部では、お二人が出演するトークショーが開催された。在日朝鮮人2世のタッグ作品がいかに生み出されたのか、二人の出会いや制作秘話が語られた。その一部を紹介する。
山本すみ子さん(実行委員会代表):昨年、同志社大学でお二人の作品をテーマにしたイベント(昨年10月に開催)が行われると民宜さんから聞き、横浜でもぜひやってほしいとお願いした。今日限りの作品展示。なんとも贅沢な時間をお二人からいただいた。お二人はどうやって出会って、どうやってこんなにすばらしい作品を作り上げることができたのか。文が先なのか、絵が先か。そこらへんのお話をぜひ聞きたい。
朴民宜さん(以下、朴):本当に幸せな場を設けることができ、うれしいです。作品作りのきっかけは、月刊イオの編集長から連載の提案を受けたこと。当初は「昔話で」という話だったが、今は素晴らしい昔話の絵本がたくさん出ているから、新しい形で、私がずっとやりたかった、尹さんの詩を軸にした在日女性の、家族の、生活の姿を描けたらいいかなと思った。
尹正淑さん(以下、尹):民宜さんとの出会いは20代の頃、東京文芸同の「文学教室」。なんとなく気になる人だった。当時、私は学友書房に勤めていたが、たまに二人で喫茶店でお茶したりして、それから50年間、一度も切れることなくずっと関係が続いてきた。民宜さんとは年齢も一つしか違わないので、経験も共有できる。特別な相棒みたいな感じだ。
朴:文が先か、絵が先かと聞かれるが、完璧に文が先。20年前からかのじょの詩を読んでいるが、私が見て聞いて感じたこと、経験が、どういうわけか重なる部分が多い。制作で心がけたのは、色。イオの連載当時、コロナが始まり、さらに中近東で紛争が絶え間なく起こり、去年はウクライナで戦争が起き始め…毎日が憂鬱だった。だから色彩だけはやわらかく明るくしたいという思いに駆られた。すべての絵のベースに黄色を置いた。黄色は太陽の色でもあるし、幸せのシンボルでもあるし、欧州で政府など何かとたたかうときに掲げる色であり、悲しいときも黄色いリボン、腕章をつけたりする。いろんな意味で黄色はすごいことを表現できるんだなぁ、と。時代が暗かったから、黄色をベースに絵を描いた。それだけははっきりしている。
2人を囲んで輪になった客席からは、絵にまつわるさまざまな質問が飛んだ。
「『キムジャンの季節』(2020年11月号)は伝統的でありながら革命的だ。『ハルモニとオモニとぼくとキムチをつけよう』とあるが、ここでふつう登場するのは女の子で、当時は男が厨房に入るなんてとんでもないと考えられたはずだ。なぜあえてここに『ぼく』を入れたのか」
「『アボジの子守唄』(2020年10月号)がすごくいいなと思った。私は日本人で、父が子守唄をうたうところを見たことがない。男の人が子守唄を歌う、これはいいなぁー!と」
「『ゆりいす』(2020年9月号)は泣きながら書いたというが?」
「このまま物語が進んでいくような感じを受けた。社会の厳しい状況の中で、温かいものが絵に反映されている。画材は?」
尹:子どもの頃、冷たい水で白菜を洗うのと、ヤンニョム作りが私の役目だった。それはすごく重労働でいやだったけど、毎年決まり事としてやった。なぜ男の子なのか。12ヵ月間で書いた詩の主人公は、実はすべて民宜さんの息子の『やんくん』です。
尹:「アボジの子守唄」のきっかけは学友書房に勤めていたときに一緒に働いていた同僚が亡くなったこと。涙が止まらなかった。その同僚の息子さんに息子さんが生まれたと聞いて、親子3代で同じ道をいくのかなと、同僚のことを思いながら書いた。
尹:家族の一人が病気になり、寝たきりの状態で6年間一緒に生活した。そのときに自分としては、動くと転倒して危ないから動かないでね、こうしてね、ああしてねと言ったが、亡くなった後に後悔した。人間は動くものだから、動く状況にしたほうが本当はよかった。でも被介護者は話もできないし、動くこともできないから、結局こっちのいいなりになるしかなかったのではないか。結婚した当時、結婚祝いでもらったオレンジのゆりいすがあった。被介護者は動くものに興味を示して、ゆりいすに乗りたがっていた。一方でその人は60歳で倒れたが、生まれながらに体が不自由な人がいる。人間が動くということはどういうことなんだろうと6年間考えた。それを詩にしたのが「ゆりいす」。
朴:作品作りを細く長くやってくるなかで、時間がたくさんある時と刻み込んだ時間の中で消化しないといけない状況がある。そういう中で黄色を軸にしながら、材料は色鉛筆、水彩、部分的には油彩を使いながら、そうやってたくさん使いながら、適当にやっている。
また、お二人の人柄がよく伝わる、こんなやりとりも。
尹:子どものことや自分の生活の中にあることを日記のように書いてきた。書くと民宜さんが「いい、いい!」と言ってくれた。イオの連載後に書いた詩を見せた時も「いい、いい!」というんですよ。私の詩は詩じゃない、ただの自分の日記、落書きだと思っていたのに、民宜さんが「涙が出てくる」と言ってくれた。やっぱり同じ世代で同じようなことを体験した人の共通の心情というのがある。
朴:イオ掲載時もそうだが、同志社大学のイベントタイトルを決める時も、(どちらの名前を先に出すかで)かのじょと私はもめた。実際はすべて文が先で、絵が後。それをいくら言っても、尹さんは私を優先した。最終的には私が受け入れた。尹さんは静かで深く考える人。私も頑固だけど、こちらはもっと頑固で、前に進むには私が妥協するしかないと、私がえらそうに前に出た(笑)。
お二人の息の合った作品のように、二人の阿吽の呼吸が語りの細部から伝わり、気持ちがほんわかしてくる温かいお話だった。
最後に、会場から寄せられた感想をいくつか紹介する。
「初めて見たけど、初めて見た気がしない。どこかで見たような温かさを感じた。輪郭が全部黄色になっている。一人ひとりが輝いていると感じた」
「詩を順番に見ていくと涙がこぼれそうになってくる。感動をそのまま伝える、素朴でもあるし正直でもあるし純朴でもある。言い表しようのない言葉がそこにある」
「木、虫、土、みんな生きている、同じに生きていると強く感じた。一緒になって動いていることをイキイキと感じることができて、うれしいな、たのしいな、という感情が溢れ出た。詩はすっと何の抵抗もなく、そのまま落ちていく感じ。素敵な詩から生まれた絵であり、絵からまた感じる詩である」
「ここに来なければ絶対に見れなかったものがある。夕方のわくわくと寂しさが一緒になってくるような体験。詩は全部さみしいんですよ。さみしいから誰かが一緒にいてくれて、生きていく。そのことを新作の5作は体現してくれている」
(淑)