書くことの効用
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しばらく前、知人から「長年、胸につかえていたものがあったが文章にすることで洗い流された」というようなお話を聞いた。
幼い頃に辛い経験をして、その傷がずっと癒えていなかったけれど、ふとしたきっかけで文章を書き始め、たくさん涙を流しながら書き終えるとスッキリしていたという。
多くの人に共通することかどうかは分からないが、少なくとも私は知人同様、書くことで頭の中を整理したり気持ちに区切りをつけている。ただし、物事に直面した時に「書いてすぐ解消!」ということはできない。
日常生活の中で(歩いている時、食器洗いをしている時、シャワーを浴びている時が多い)突然、過去のとある出来事に対する思いが言葉になって浮かんでくることがある。それを急いでメモに書き留めておく。
そのうち、いろんな事柄に関するメモが溜まっていく(並行して、どうでもいい発見や思考のメモもちょこちょこする)。
ある時、「あ、あのことはもう文章にできるわ」という瞬間がやってくる。書くための素材が揃ったという感覚だ。機が熟すのである。そんな時、どうでもいい思考のメモが意外と素材同士のつなぎ目になってくれる、みたいなことも少なくない。
書きながら自分の気持ちを再確認し、書き上げてようやく「これについてはとりあえず区切りをつけられたな」と思う。大げさに言うとセルフカウンセリングに近いかもしれない。
また、書くという行為はある程度、自分の気持ちを決めてしまうことでもあると考えている。
微妙に言葉にならなかったり、言葉にしてしまってもいいのだろうかという思いがあったとして、盛りもせず減らしもせず、しっかり自分の気持ちに近い表現を吟味した上で書き切ることでやっとハッキリすると言うか「これに関して自分はこう思っているんだ」と自覚することができる。
「覚悟が決まる」とも言えるだろうか。モヤモヤと手元に置いておくことをやめ、手放すことができる。「抱えていた問題」を、「経験」や「過去の思い出」にしてくれるのが書くことなのかなと思う。
話は少しずれるが、以前Twitterでとても面白い内容を目にした。以下に転載する。
「文章を書く」ことについて書いたら、そうだ、この本を紹介しなくちゃ、と思い立った。尾崎俊介先生の『アメリカをネタに卒論を書こう!』(愛知教育大学出版会)。あまり知られていない本だけど、私はこの卒論指南書が大好きだ。
「論文を書くことに慣れていない人、つまり『大抵の学生』という意味ですが、とにかくそういう人がしばしば犯す勘違いは、『人間は頭の中で考える』と思い込むことです。人は普通、頭の中で情報を整理し、問題点を突き止め、考察し、結論を出し、最後にそれを文章にまとめて紙に書き出すと思い込んでいるんですね。しかし、それは大きな誤りです。これは私の経験から言うのですが、人間というものは『頭の外』でしか考えられません。つまり、紙に書き出してはじめて、それはその人の思考と言えるものになるのです。よく『頭の中には素晴らしいアイディアがあるのだが、それをうまく文章化できない』などと言う人がいますが、実際には紙の上に書き出された内容の薄い拙い文章こそ、その人の思考の実体です。残念ながら、紙の上に書き出されたもの以上に素晴らしいアイディアなど、どこにも存在しませんし(以下、略)」
書き写していて文章のリズムが抜群にいいことを実感します。「紙の上に書き出された内容の薄い拙い文章こそ、その人の思考の実体です」という啖呵の格好いいこと! この本、卒論指南書なんですけど、書くということがどういうことかをよく知った著者だから書ける本なのです。(北烏山編集室 @kkyeditors)
これを読んでみてもやはり、実際に書かないと自分の思考とは出会えないのだと感じる。(理)