このまちの思い出 Vol.4 新潟県
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東京にウリハッキョができたと聞いて中級部3年で上京、東京朝鮮中高級学校の師範科(当時)で学び、東北朝鮮初中高級学校(当時、仙台市)教員を経て新潟朝鮮初中級学校の創立と同時に同校に着任。32歳で生まれ故郷の上越市に戻った。金明勲さん(74)。妻の申春江さん(71)の生まれは横浜市。同じ港町でも上越市は豪雪地帯。結婚当初、雪の多さに「あんまりびっくりして帰りたいと思った(笑)」。…
「船が佐渡島を越えたあたりで船長から電話が入る。『もうすぐ着きます』と。目当てはタンコギ(犬肉料理)。平壌焼酎や人参酒と一緒に、まぁよく食べたよ」。朴載達さん(78、写真右)が話してくれた「万景峰92」号の思い出の数々は愉快で、生活的だった。
大阪府八尾市生まれ。出稼ぎ先の佐渡島で闇米の売買で警察に捕まり、大阪に戻れなくなった父を追って家族で新潟県に移住した。6歳ごろ、密造酒の製造で再び捕まった父に代わって、母と一緒に鉄くず拾いをして一家の生計を立てた。それが後の事業の土台となった。…
94歳の尹千石さんは、新潟市内で「高麗物産」を営む在日1世。1928年、慶尚南道陜川郡に生まれ、7歳の時に、徴用で日本に渡った父を頼って母、姉弟と釜山から下関、静岡県へ。祖国解放のひと月前に父が他界し、「米どころの新潟に行けばごはんが食べられる」と、魚沼市に居を移した。…