ウリハッキョの”真価”みつめる/第13回中央オモニ大会
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女性同盟結成75周年記念・第13回中央オモニ大会が5月19日、東京都北区の北とぴあで行われ、北海道から九州に至る日本各地のオモニたち750人が一堂に会した。今大会は、日本各地の朝鮮学校が児童生徒数の減少、財政難という深刻な課題を抱えるなか、「ウリハッキョの真価」という根本を見つめることに主眼を置いた。
民族教育の普遍的意義
在日本朝鮮民主女性同盟中央本部が主催した大会の第1部では、朝鮮大学校科学研究部の康明逸准教授(44)が、「子どもたちをどのように育てますか?―子どもたちにウリハッキョで民族を教える意味―」と題して基調講演を行った。
康准教授は、コリアルーツの子どもを育てる多くの保護者たちがウリハッキョに子どもを送るか送らないかという選択のはざまに置かれているとし、それが「民族性および民族の繋がりvs機会・能力・経済的安定」という、「強要された対立構図」から生まれていると指摘。
さらに、民族教育の意義について考えられず、「私(たち)の時代が良かったから」という経験主義的な「ウリハッキョ肯定論」にも言及し、「無限の広がりを持つはずの民族性の追求、それを実現できる可能性を持つ民族教育が、独善的で閉鎖的で内向的なものへとすり替えられてしまう恐れがある」と警鐘を鳴らしながら、「個人的経験と感覚から普遍的意義を探すことが大切なのでは」と問題提起した。
康准教授は、この点を克服する上で民族教育の「普遍的意義」を探す作業が不可欠であるとし、「『民族』の得体」と題して、民族教育の内実について、ひも解いていった。
康准教授は、「民族」というものが、侵略者・植民者(加害)側と抵抗者(被害)側という2つの力学の間で形成されてきた点に注目しながら、ここには常に「同化」と「差異化」の圧力と誘因が存在していたと指摘。第1次、第2次世界大戦をはじめ、20世紀前半の世界的不幸も、民族の「境界」を軸に作られていったものだとのべた。
さらに戦後の日本においては、天皇制に象徴されるように、人権の普遍性よりも自国の権力安定と国益が重視された結果、植民地支配とそれに連なる戦後責任を果たすことはおろか、民族差別が連綿と続いてきたと指摘。このような日本社会の中での民族的尊厳の確立は簡単なことではなく、「自身が朝鮮人であると知っているだけでは、朝鮮人にはなれない」矛盾が立ちはだかるとした。さらに、マジョリティによる同調圧力は、民族の継承のコスト(費用)負担を高めることにあらわれ、認知的不協和を誘発していくとものべた…。(以上は抜粋になります。全文ご覧になるには本誌をご覧ください。定期購読のお申し込みはこちらへ。https://www.io-web.net/subscribe/)