17年ぶりのウリハッキョ⑤見えてきた景色
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このコラムを17年ぶりに…と名づけましたが、朝鮮学校の保護者になることで、学生時代とは違う景色が見えるようになりました。
日本の学校と朝鮮学校の違いを一言で言うなら、やはり言葉ではないでしょうか。
息子がハッキョに行きだしてから、わが家ではウリマル―朝鮮語が飛び交うようになりました。下の娘もオッパ(お兄ちゃん)が話すウリマルや歌を真似て楽しむのです。よく1年も経てば学校生活はほぼウリマルで送れるようになると聞いていましたが、一段ずつ着実に階段を登っている様子が見てとれます。
とくに嬉しかったのは「옳지!(いいぞ)」「아차!(しまった!)」の単語が飛び出たときです。「아차!」は、台所でコップを落とした時のとっさの一言でした。考えて話すのではない、「自分のことば(―ウリマル)」を発する姿に言いようのない幸せを感じたものです。
日本語に日本語固有の表現があるように、朝鮮語にも朝鮮語固有の表現があります。アイゴーのような直訳が難しい微妙なニュアンスを含んだ表現がそうです。日本語と朝鮮語―。2つの言葉の中で豊かな言語感覚が育まれていけば…と期待はますます膨らみます。
以前、朝鮮学校の生徒数が減っていることをこのコラムで書いたことがありますが、私には、自分とは違う価値観や考え方をもって、日本の学校に通わせているコリアンの友人がいます。当初は「一緒にハッキョの保護者になりたかったなぁ」と寂しく思っていましたが、通わせる学校は違えど、共通する話題は多いことに気づき、時々会って話すことが刺激になっています。
彼女たちは、日本の学校に通わせる一方、週末は朝鮮学校の課外授業に参加させたり、コミュニティの夏季学校で同胞のオリニたちと一緒に遊ばせています。朝鮮学校の教育に興味も持っています。ご存知の通り、日本の公教育の教育現場に、カナダのように母語(継承語)教育の空間は設けられていません(大阪、京都などの民族学級以外は)。だからこそ、彼女たちは日本の教育で満たせない部分を補うため、試行錯誤を重ねているのでしょう。同じ子どもを育てるオンマとして繋がっていたい、そう思っています。
今後私は、20年近く「学校」に付き合っていきます。
朝高の無償化問題は、日本に生まれ育つ子どもたちの母国語を学ぶ権利を侵害する差別問題ですが、その余波は地方自治体が朝鮮学校に支給する補助金の削減、という新たな問題を引き起こしています。補助金カットは、さまざまな形で朝鮮学校の教育環境を圧迫しています。果たして日本はアメリカンスクールにこのような仕打ちをするでしょうか。「朝鮮」を排除するシステムがこの日本には貫徹しているのです。
朝鮮学校と日本社会―。学校の問題ひとつとっても、在日コリアンを取り巻く「大きなシステム」が現存しています。保護者に経済的負担を重く重くのしかけ、民族教育を受ける権利を阻んでいく日本のシステム。しかしこの中でも子どもたちは日々成長を遂げています。
民族教育は続いている――。
保護者になってから、私はこのことの「重み」をひしひしと受け止めるようになりました。(瑛)
これから20年~~
私の心に素直に入ってくる文面です。
小さな架け橋を願ってこの1年色々と勉強させてもらいました。
そして思わぬ多くの友達もできました。
これからの1年~1年が凄く大切な時期になるでしょう。
もう少しにわか応援団で見つめています。