問い続けること
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直近で連休があり、何か文化的なことをしようと映画を鑑賞したので、本日はその感想を綴りたい。
ユーロスペース(東京都渋谷区)ほか、一部の映画館で上映している『ぼくたちの哲学教室』を鑑賞してきた。
『ぼくたちの哲学教室』は、北アイルランドのベルファスト市北部に位置するカトリック系のホーリークロス男子小学校での哲学の授業を2年間にわたって記録したドキュメンタリー映画だ。共同監督を務めるのは、アイルランドのドキュメンタリー作家ナーサ・ニ・キアナンと、ベルフェスト出身の映画編集者デクラン・マッグラ。
4歳から11歳までの男子が通う同小学校では、「哲学」が主要科目になっている。
プロテスタントとカトリックの対立が長く続いた北アイルランドのベルフェストでは今なおその傷跡が残る。「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在し、対立と分断があるこの街では麻薬や子どもの自殺も多い。
そのような街中に位置する小学校のケヴィン校長は、「哲学」を通じて子どもたちに対立や分断からはじまり、子どもたちのけんかや感情の高まり、不安にいたるまで諸問題の解決を促していく。「他人に怒りをぶつけてもよいか」といった問いを子どもたちに投げかけ、子どもたち自身で対話し、自ら思考するプロセスを重んじる。
映画を通じて、インターネットの検索で出る「答え」、マスメディアの報道や新聞記事で得ることができる情報が果たして真実と言えるのか、行間に隠れた事実やその根底にある問題は何かと自らが問い続けることが、現代情報化社会で生きる人びとには求められていると改めて感じた。
同時にこの映画では、宗教や民族的な違いは必ず分断を生み、対立や暴力を生むのかといった問いを観るものに投げかけている。
前日に筆者が鑑賞した『アンダーグラウンド』は、今はなき社会主義国家であるユーゴスラヴィア連邦を扱う。エミール・クストリッツァ監督が手掛ける本作は、終始ジプシーの音楽が鳴り響き、ユーゴ解体にいたる悲劇を喜劇をまじえて描いている。多民族のるつぼであったユーゴはきょうだいが殺し合うような戦争を経て解体された。独立国家ができ、一つの「祖国」がなくなる悲劇を登場人物の視点で描き出す。「民族」が対立、分断の原因であるかのように語られることが多いなか、果たしてそれが本質なのか、考えさせられる映画なだけに『ぼくたちの哲学教室』とのつながりを感じた。
なぜ日本に朝鮮学校があるのか、なぜ関東大震災時に朝鮮人が虐殺されたのか、そしてなぜウクライナで戦争が起きているのか。自らが問い続けることで表層ではなく深層にあるものごとが浮かび上がってくるだろう。(哲)