自身の朝鮮語能力について
広告
9月号の特集は「ウリマルで働く」。
先月から、朝鮮語を武器に仕事をする人たちに会ったり、取材した方の思いを原稿に置き換える作業を続けているのだが、朝鮮語の用法の間違いに気づかされたり、言い回しや単語がわからず、四苦八苦している。これでも20代の頃は朝鮮語で記事を書いていたのに…。ことばは使わないと忘れるし、どんどん書けなくなることを痛感。自分はつくづくセミリンガルだと反省しきりだ。
今回の特集では、朝鮮語の教材を作る仕事をしている方や、ハングル能力検定協会など、朝鮮語の実力をはかる各種検定についても紹介するのだが、朝鮮学校を卒業して30年近く過ぎた自分自身の朝鮮語が、どれほどのものか(確実に落ちている!)を検証する機会にもなっている。訓練していないから、当然のことだ。
朝鮮語から日本語に翻訳された本を読みながら、朝鮮語の原文を「日本語の世界」に置き換える訳者の言語能力、言葉のセンスにもうならされる。
とりわけ、1世紀以上前の物語を今日の読者に届ける作業は、時代の大きな空気感を意識しながらの作業だと感動を覚える。
翻訳の仕事につくある同胞は、「これからは、AIに翻訳の仕事がどんどん奪われるし、報酬も下がると思う。しかし、AIが最も苦手とする部分について役割を果たせる部分があるのでは?」と意見してくれた。
本特集では、母国を離れながらも、母文化を学ぶ意味、幼い頃から母国語を学ぶ効用についても迫りたいと思っている。(瑛)