“知っている”から“気づく”へ
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先日、何気なくSNSを見ている時に一つの投稿が目に留まった。
20代の終わり、生まれたときから映像や言葉でのみ知っていた「原爆の日」に初めて広島を訪ねた朝、宿を出た瞬間にむせ返るような線香の香りと煙に包まれ、その"匂い"でようやくその日が膨大な人々の命日なのだと当たりまえのことに気づけたように思う
— 潟湖 (@ao_osanai) August 5, 2023
ハッとした。原爆被害に関しては、映像・写真を見たり実際の経験者や被曝2世の方の言葉を読むなどして知ってはいたが、平均的に皆が知っているレベルで、自分も知識として知っているに過ぎなかったと気づかされた。
この方が「原爆の日」に広島を訪ねた動機は書かれていないが、きっと知識だけではなく、その先の自分の思考につなげていきたくて行動を起こしたのではないだろうか。
五感のどれかを通して経験してのみ、自らの実感として得られる納得や衝撃、腹落ちがある。感じるポイントは人それぞれだが、だからこそ、自分なりの視点を率直かつ誠実に言語化すれば、他者の心に残る描写が生まれると思う。
歴史は、公的文書や当時の日記といったさまざまな紙の記録と個々人の語りによって形作られていく。当時の方が何を見てどう感じたかに加え、当時を生きていなくても、学びや伝聞、事実に紐づくものと触れることでたくさんの気づきが得られるものだ。
今年9月1日、関東大震災から100年となる。ともすれば歴史は風化しがちなものだが、関東大震災時の朝鮮人虐殺の事実に関しては年々すごいスピードで歴史修正、歴史抹消の動きが進んでいる。
これを防ぐためには、歴史修正主義者に直接抗うことも大切だし、冒頭のような、今を生きる人々の新しい気づき、学びの言語化も欠かせないのだと思った。
現在すでに多くの学習会ほか、関東大震災時に起こった惨劇を切り取った映画「福田村事件」の上映が9月1日から予定されている。
※公式サイト↓
https://www.fukudamura1923.jp
イオ本誌でも「関東大震災100年 虐殺現場を歩く」という短期連載が4月号から始まっている。ぜひじっくりと読んで、現場を訪ね、湧き上がってきた気持ちを発信してほしい。(理)