誕生日プレゼント
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先日、48歳の誕生日を迎えた。
家族から誕生日プレゼントをもらった。
晴雨兼用の折り畳み傘。日本で大人気の某アウトドアブランドのロゴが控えめに入ってた。
近年の日本の夏の暑さは災害級。日中の日差しを直に浴びるだけで、体力を削られ、皮膚にもよくない。熱中症による死者もたくさん出ている。日傘使ってみれば? 最近は日傘をさしている男性も街中でよく見かけるよ―。という話を家でしていたので、このプレゼントはうれしかった。
このアイテムの最大の特徴は、シャフト・骨・生地に至るまであらゆるパーツが分解可能で、簡単に修理パーツと交換できます―。
メーカーのサイトを見てみると、そのような売り文句が書いてあった。つまり、修理パーツが販売されている限り、理論上は一生使える折り畳み傘というわけだ。折り畳み傘は(ビニール傘もそうだが)、どこかのパーツが壊れてしまうと傘全体がダメになって捨ててしまうことが多かったので、エコの観点からしてもいいと思った。
へぇー。
さすがアウトドアブランドだね。
壊れたり古くなっても、すべての部品が交換可能なので、直しながらずっと使えるのか。
…
これって、どこかで読んだ話と似ているな
…
そうだ、「テセウスのパラドックス」だ。
「テセウスのパラドックス」とは、ある物において、それを構成する部分(パーツ)がすべて置き換えられたとき、置き換えられる前のそれと置き換えられた後のそれは「同じそれ」だと言えるのか、という問題のこと。
「テセウスの船」の話として知られる。数年前、同名のタイトルのテレビドラマが放送されていた。
「テセウスの船」はギリシャ神話のこんな話だ。テセウスがアテネの若者と共にクレタ島から船に乗って帰還した。アテネの人々はその船を後の時代までずっと保存していた。朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、結局あらゆる部品が新しいものに取り換えられた。それを見てある者は、「その船はもはや同じものとは言えない」と言った。また別の者は、「その船はまだ同じものだ」と主張した―。
要するに、元々存在していた船が、古くなるにつれて新しい部品に交換されていった結果としてすべての部品が置き換えられてしまった時、その船はオリジナルの船と同一のものだと言えるのかという疑問が出てくる。さらに、交換された古い部品を集めて別の船を組み立てた場合は、どちらが「テセウスの船」なのかという疑問も派生する。
人間の細胞は日々入れ替わり、新しくなっている。今の私は、果たして「10年前の私」と同一の人間であると言い切れるのか―、みたいな話。
「同一性」とは一体何なのか、どのような状態であれば同一性は維持されているといえるのか―。テセウスのパラドックスが投げかける問題は、つまりはこういうことだろう。
閑話休題。
今朝、日差しもあったので、さっそく自宅から最寄り駅まで使ってみた。そんなに強い日差しではなく、気温もそんなに高くなかったのだが、傘をさすと全然違う。初めて日傘を使ってみたのだが、「おお、これはいい」と思わず口にしてしまった。晴雨兼用なので、この季節の間は常に携行しよう。
と、ここで新たな問題が。
私は傘を置き忘れてなくすことに関しては右に出るものはいないと「自負」している。これまでなくした傘は数知れず。7年前に亡くなった父親が使っていた傘を形見として使っていたのだが、それも2年ほど前になくしてしまった。さすがにそのときはショックで、しばらく気持ちが沈んだ。
プレゼントされたこの傘は絶対になくすわけにはいかない。(相)
明日からイオ編集部は夏休みに入ります。
この間、ブログ「日刊イオ」の更新もお休みします。ブログの再開は18日からになります。