どこに立ち、何を発するのか
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何のために筆をふるうのか―。
関東大震災朝鮮人虐殺から100年の節目にあたり、この期間は関連する学習会や展示会、上映会、デモ行進や記者会見などさまざまな現場に赴き続けてきた。そして、改めて自らが果たすべき役割について考えた。
朝・日大学生たちが主体となり推進してきた 「トルパ(突破)プロジェクト」では、筆者と同年代の若者たちが主体となり、100年前の虐殺に向き合い、現在にも続く問題としてさまざまな取り組みを行ってきた。そこで実感したのは、自らの立場でどう歴史と向き合うのかだ。
「隣人」との理解を深め、友好をもたらすために、一個人として属性を乗り越えて接することが大事だという人もいるが、そうではない気がする。相互理解のために「越える」ことが必要なのは差別や偏見といった障壁であって民族や属性ではない。
自らの加害性を理解し、日本人の若者として、歴史に向き合い、朝・日の交流を深める学生の姿を通じてそれを感じた。
現場以外でも思うことがある。メディアで100年に際し、虐殺の事実が報じられるがその時に「災害時にはデマが流れやすい」ということが論じられる。その後に、そのデマがどこから流されたのか、何が民衆を後押ししたのかという説明あればいいが、そうでないものもある。 最近は、生成AIによりデマの見分けがつかなくなっている、といったことも同時に話されるが、本質はそこではない。
当時は、日本政府当局が「戒厳令」を敷き、「不逞鮮人」への警戒に当たらせた軍隊、警察も虐殺を行った。
そこが、「災害時のデマ」が流れた土壌と、関東大震災時の朝鮮人虐殺を引き起こした状況との大きな違いだ。植民地下における民族的な蔑視と政府のお墨付きというのはそれほど大きな影響を及ぼした。
現在は、日本政府の朝鮮民主主義人民共和国に対する敵視政策により、民衆の中の「北朝鮮嫌悪」が増幅されている。また、朝鮮学校の高校無常化制度や幼保無償制度からの除外や地方自治体の補助金の支給停止など公権力による差別が行われている。市民レベルでも2009年の京都朝鮮学校襲撃事件、新大久保や川崎でのヘイトデモ、2021年のウトロでの放火事件、昨年赤羽駅構内で発見された差別落書きなどがある。上下からの「2重の差別」を在日朝鮮人はこうむっていると言えるだろう。
そこで、「歴史を繰り返してはならない」のではなく、今現在も起こっていることであり、100年も続いている差別の連鎖を断ち切ることが重要なのではないか。
新聞を見ていると、ある面では100年に際し朝鮮人虐殺の歴史を伝え、差別をなくすことをうたうが、他の面をめくると、朝鮮の「脅威」を煽る言説が出てくる。この矛盾はなんだろうかとつくづく思う。
在日朝鮮人運動の担い手である筆者は、特に次世代にこれ以上ヘイトの被害が及ばないように、また、差別と偏見がはびこる中で、在日朝鮮人が自らの歴史を見つめ、主体的に考えることができるようなことを発信していきたい。もちろん、それについてだけ報じるのではない。大事なのはどこに軸足を置き、報じるのかだろう。
自らの歴史に自らの立場で応答し、イオ10月号の締め切りを間近に控える今、また筆をふるおうと思う。(哲)