「統一のはなし」を紡いでいく
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今日は、最近読んだ本について書きたいと思います。本のタイトルは「행복한 통일 이야기(幸せな統一のはなし)」です。
10/12のブログで(k)さんが同じ題材のエントリーを書いています。未読の方はぜひ一読ください。
この本は韓国の月刊誌「民族21」の編集主幹である安英民さんが、10年にわたる訪朝取材の豊富な記録を一冊にまとめたものです。
私は「民族21」に掲載されていた広告でこの本の存在を知りました。その広告の、
더 이상 늦출수 없는 통일의 이 시각,오늘 통일은 우리에게 바로 행복이다.
(これ以上遅らせることの出来ない統一の時刻表、我々にとって統一はまさに幸せである)
という一文がひどく気に入って、発売されたらきっと読もうと思っていました(この文章は本書エピローグから引用したものです)。
初め、手元にあった日本語訳を読み始めたのですが、第1話(本には30の統一のお話が書かれています)を読み終えた時点で、やはりこの本は原文にこだわって読むべきだ、いや、読みたいと強く感じました。もちろん日本語訳も心に響くものでしたが、著者自身の言葉で綴られた物語を、私自身が母国語で体感したかったからです。
本書のプロローグで著者は、「統一は善なのか?」「統一はすべきなのか?」と、読み手に問いかけています。著者は、自身の目で見た朝鮮の日常について率直に綴り、「北と南が分断されている状況がいかに不幸」で、「北と南が仲良く暮らす統一がいかに幸せなこと」なのかを、安全保障や経済におけるメリットなど、具体的な実証例を挙げることで、自身が投げかけた問いの答えを導いていきます。
読み進みながら私は、著者が懸命に読者を「説得」しているように思えました。それは、それだけ説得力のある情報が盛り込まれているということですが、たくさんのメリットとデメリットを並べて「説得」しなければ、統一を良しと感じられない韓国社会の現状から半世紀の間につくられてしまった深い溝を垣間見るようでもありました。
いまは感情論では統一を語れない時代かもしれません。でも私は、時代錯誤といわれてもあえて感情論で語りたい。利害関係や理屈では語れない、「民族」「統一」といった言葉にわけもなく熱いものがこみ上げてくる、涙があふれる、そんな民族の悲願の想いが、本当は統一を語る上で何にも勝る「説得材料」なのではないでしょうか。著者が10年間の取材を通して得た統一への確信と、民族への深い愛情が、何気ない言葉の一つひとつから感じ取れます。
悪夢のような延坪島事件から今月23日で1年が経ちましたが、朝鮮半島情勢は依然膠着状態がつづいています。
しかし一方で、うれしいニュースもありました。21日~22日、カタール・ドーハで行われた国際卓球親善大会で、北と南が統一チームで出場し、のみならず男子ダブルスで優勝、女子ダブルスで準優勝という成績をあげ、私たちを喜ばせてくれました。20年ぶりの統一チームでの出場に、1991年、千葉で行われた世界選手権大会を想起した方も多いことでしょう。当時初級部1年生だった私も、両親に連れられてオッパたちと一緒に統一チームを応援しました。
これだけじゃない、私たちはすでに多くの「統一のはなし」を持っています。ハラボジ・ハルモニの「統一のはなし」、アボジ・オモニの「統一のはなし」・・・。皆さんも心の中に大切にしまっている、それぞれの「統一のはなし」があると思います。そして私たちはこれから先もずっと、無数の「統一のはなし」を、絶えず私たち自身の手で紡いでいくのです。
本の中で著者は、「今、我々が成すべき事は統一への垂直線上に無数の統一の点を刻み込む事である。多方面の交流を実現し、各分野の協力を実現することである。南北の異質性を絶対化するのではなく、互いの共通性を探し広げて行くことである。統一はそんなプロセスを経て実現される」と書いています。
著者の言うように、統一はある瞬間に実現されるのではなく、積み重ねた過程が統一を形づくっていくのだと思います。小さいけれど着実な<우리 민족끼리>(わが民族どうし)の歩みと、北と南、そして世界に散在するすべての同胞たちの統一を願う強い想いこそが、分断の障壁を越えて、大きな大きな統一をつくっていくと信じています。(淑)