親子の時間
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連休を使って地元に帰省した。実家は北海道の小さな港町だが、親族の集まりがあるため札幌に集合。前乗りした私と両親で、しばし市内の公園を散歩した。
池を覗くと手のひらよりも少し大きいくらいの魚がたくさん泳いでいる。
「これなんの魚だろうな〜!」
アボジの声を筆頭に、
「いわしじゃない?」「あゆ?」「ししゃも?」
当たるはずもないと分かっていながらオモニと二人でわざと適当なぼけをかましていたら、少し離れた場所にいた男性が見かねて「うぐいじゃないかな」と声をかけてくれた。
すかさずオモニが画像検索。「本当だ! すごいですね〜」などと話していたら、男性はすっとその場を去った。
「俺の役目は終わったとばかりに行ったね」
オモニの表現がおかしく、笑ってしまった。
その後も公園内を小一時間ぶらぶらしながらいろんな話をした。特に、なぜか蛾に関するエピソードが盛り上がる。
実家がある町で数年前に蛾が大量発生した話、外にあるガレージの扉を開いたら中に潜んでいた蛾たちが一斉に飛び出して行った話、飛んでいく蛾の本体部分を瞬間的にすずめがついばみ、羽だけがパッと宙に舞うのを見てショックを受けたという話…
オモニは臨場感を持たせて語るのが得意なので、映像が頭に浮かびやすい。言葉選びや擬音も的確で、どんな話も聞いていて飽きない。「羽だけがパッと宙に舞う…」の部分では趣のようなものさえ感じた。
場面は変わり、池の淵で丸まって眠っている鴨を見て、通り過ぎる女性が「ふわっふわの毛布みたい」とかわいらしい比喩をしている隣でオモニが冷静に「団子みたい」と言ったときも面白かった。
日本庭園風のゾーンを歩いている時には、アボジが口を開いた。
「この景色見てみろ。紅葉の季節になったら後ろが色づいて、池の真ん中にある松の木の緑が映えるんだろうな」
「おしゃれなこと言うね」と返したところ、「俺には先が見えるんだ」と突然SFドラマの主人公みたいな台詞をナチュラルに口にしたためくすっとしてしまった。
普段は両親と離れて暮らしているので、まとまった話をする際には通話するが、積んできた経験の種類や価値観の違いから、意図せぬすれ違いや言い合いが生まれてしまうことがままある。
言葉はすれ違っていても、根底の部分ではお互いに考えていることが同じだったり、相手がこう思っていることを実は分かっているがその言い方は見過ごせない、という状況もある。
かと思えば、複雑な心境をぴたりと言い当てるような、すっきりする言葉をかけられることもある。
これまでたくさんの齟齬やもどかしさもあったが、今回の散歩で両親の言葉づかいや視点に気がつきながら、やっぱり互いになんとなく近しいものがある、あるいは居心地がいいなと感じた。
面白いと感じるもの、言語感覚など、知らず知らずのうちに自分に染み込んでいるのだろう。(理)