世界は見てきた
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現在、パレスチナのガザ地区からハマスによるイスラエルへの攻撃、そしてイスラエル軍による「報復」という名の下の軍事行動が行われてる。一体、何が起きているのだろうか。「パレスチナ/イスラエル」について見るうえで、今また問われなければならないのは、歴史だ。
時は100年以上前のイギリスによる植民地から語るべきだろうか。イギリスの植民地を経て、パレスチナには欧州にて迫害を受けたユダヤ人たちが自らの国家を建設しようと流れてきた。そして、国際連合の分割案(それ自体に問題があるのだが)を無視する形で、シオニストたちにより1948年にイスラエルが建国される。それを前後してシオニストたちの領土拡大政策の下、エルサレムの郊外に位置するデイル・ヤシーン村でのパレスチナ人の虐殺や家屋破壊が繰り返された。それらは、パレスチナ人にとってアラブ語で「大災厄」を意味するナクバと呼ばれている。
1967年の第三次中東戦争でイスラエルはヨルダン川西岸地区とガザ地区を軍事占領した。1993年にパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルの間で結ばれた「オスロ合意」による「和平」は、イスラエルを国家承認し、PLOは「自治政府」という「承認」を得たものの、イスラエル軍の撤退や入植活動の取り止めについては解決を見出さない合意だった。合意に対する不満が高まり、パレスチナ人は蜂起するも徹底的に弾圧される。PLOによる和平に反対して、2006年には総選挙によりパレスチナ人民はハマスを選ぶも、イスラエルによるハマス排除と米国によるファタハ・PLOへの軍事支援などによってハマスとファタハの間で武力衝突が起き、結果的にファタハ・PLOがヨルダン川西岸地区を、ハマスはガザ地区を統治することになった。
「2006年にハマスが政権についてからガザ地区の封鎖が始まった」という説明がなされるが、そうではなく、2000年から既に移動が制限されていた。さらに、イスラエルがガザ地区から「撤退」して、ハマスが「支配」していると言われるが、人やモノの移動が制限され、物資を国際支援に頼らざるをえず、経済的自立ができないため、植民地の状況が続いてきた。塀やフェンスにより囲まれたガザ地区はまさに「天井のない監獄」である。ガザ地区の住民は日常的にイスラエルによる軍事攻撃にさらされている。2008年から2009年にかけて約1400人、2014年7月の軍事作戦では約2200人が殺害された。
ハマスについて「ガザを実効支配」「テロ組織」と言うことが、明らかな国際法違反であるイスラエルの占領、植民地政策を支え、「報復」という名の下で行われるパレスチナ人に対する大規模空爆に「正当性」を与えている。占領と被占領という不均衡な関係のなかでのハマスの攻撃を「テロ」というレッテルを貼って片づけることはできない(むろん、ハマスに限らず一般市民を巻き込む攻撃や自爆攻撃などを正当化することには慎重にならなければいけないが、内部にいない我々は、それらの行動の背景に目を向けるべきだろう)。
ウクライナ戦争勃発後の2022年7月、南アフリカの外相はイスラエルを「アパルトヘイト国家」と宣言するよう国連に求めた。南アフリカや他のアフリカ・アジア諸国にロシアの行動を非難するよう西側は圧力を強めているが、イスラエルによるパレスチナの土地の占領に関して、なぜ西側が同じ国際法の原則を適用しないのかと主張した。やはり、そこに西側諸国の欺瞞、二重基準(ダブルスタンダード)がある。
先日10月13日からイスラエル軍はハマスへの「報復」のためにガザ地区の住民へ退避を要求している。中東の衛星テレビ局・アルジャジーラの取材に応じたガザの住民は「かれら(イスラエル)は私たちから水、食料、電気を絶ち、今や私たちを家から追い出している。なぜかれらは私たちにそんな仕打ちをするのか? 私たちがガザに住んでいるパレスチナ人だから?」と語った。そのうえで、今の状況を1948年のイスラエル建国時に次ぐ「第二のナクバ(大災厄)」と表現した。
米国はパレスチナ人への物資供給と避難という人道的理由から「安全地帯」の設置を主張する一方で、イスラエル側の「報復」攻撃に対しては追認している。今起きようとしているイスラエルによる「民族浄化」を止めるのではなく、かえってそれを助長している。
米国のバイデン大統領はハマスによる攻撃の後、イスラエルへの全面的な支持を示したうえで、「イスラエルに敵対する政党がこれらの攻撃を利用し、利益を得る時ではない。世界は見ている」と警告した。
ならあえて言おう。これまで抑圧されてきた圧倒的多数の人々は、そして世界は見てきた、帝国主義と植民地主義の非道さを。世界は見てきた、欧米諸国の「人道」という仮面の下の素顔を。
私はこれまで「パレスチナ人」という総称を主に使用した。その土地で元々生を受けて営んできた人々を、「土地なき民に、民なき土地を」というイスラエルの建国神話によって見えなくするために「アラブ人」や「市民」という言葉が使われてきたため、それを回避するいわばかれらの存在証明のための呼称だ。存在を見えなくしたり、民族が歩んできた歴史をなかったことにすることは、その人そのものを否定することである。それこそが、暴力の連鎖を起こす一因なのではないか。歴史を見つめ直し、その上で歩み寄ることで平和的解決へと一歩を踏み出せるのではないか。日本において、私たちに対しても同じことが言える。私自身が一般的な日本のメディアや「文化人」から発せられ、われわれの内でも言われる「在日」という主体性の欠如した名称を避け、「在日朝鮮人」として存在証明をするのだ。
まだ整理ができておらず、荒削りでしか文章を書けないとは思ったが、今このタイミングで発すべきという危機感の下、私の問題意識を共有した。今こそ表層に現れているものごとではなく、そこに埋もれたもの、抑圧されてきた者たちの「声」を拾い上げる必要があるのではないか。(哲)