私の中のウリハッキョ⑥同級生たち
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先日、母校の中学生たちが社会見学の一環としてわが社を訪れた。
一行の中には同級生の娘もいた。彼女は14歳の娘を持つ母親なんだなぁと、懐かしい顔を思いだしながら、母校に学ぶ世代が一巡していることを実感したのだった。
1年後には高校生となる彼、彼女たちにイオ編集部や、同胞の新聞社はどう映ったのだろう。感想を聞いてみればよかった。
朝鮮学校の初級部3年から習い始める「社会」の科目では、日本社会のさまざまな仕組みとともに、在日朝鮮人コミュニティについて習う。
今、日本でも外国人が増えていてエスニックコミュニティが注目されているが、日本の植民地支配によって異郷暮らしを余儀なくされたコリアンは、支部、学校、出版社、商工会、旅行社、結婚相談所など、暮らしを支えるための基盤作りに情熱を注いできた。私のような3世は、できあがったコミュニティの恩恵を受けるばかりだったが、大人になって、また保護者になってからは子どもたちのために、そのコミュニティを支える役目を担っているわけだ。
この年になると、小学校から一緒に過ごした幼なじみたちも子育てが一段落したり、人生を色々と経験したりして、とくに頻繁に会えるわけではないけれど、会うと、なんとも形容できない安心感に包まれる。もちろん幼い頃から互いを知っているので、恥ずかしい思い出もあったりするのだが、飾らなくてもいい、というのが気持ちを楽にさせるのだろう。
朝高の途中でヨーロッパに留学し、大学、社会人と米国で過ごしたある友人は、最近日本で暮らし始めた。時々、私たちに声をかけてくれ、美味しい料理とお酒をもてなしてくれる。日本にいる限り、同窓会の場には必ず顔を出す義理深い彼女は、誰に対しても物怖じせず、自分の意見を伝える。その姿は中学の時代そのままだ。今では事業家として才能を発揮していて頼もしい。海外に旅立ってからは、孤独な日々も多かっただろう。手紙のやり取りをした日々が懐かしくよみがえる。
ウリハッキョと聞いて連想するものは人それぞれだろう。私は一緒に過ごしたトンチャンセン(同級生)たちを思いだす。(瑛)
thx for mentioning!
遅ればせながらブログを読ませていただきました。
mentionしてくれてありがとうございます。
私が物怖じせずはっきり物事を言うようになったのは、ウリハッキョで差別といじめを受けたからですよ。そのいじめに打ち勝つために、言い返すようになっただけです。
小学校低学年までは泣き虫でしたから…。
子供たちの世代にコリアンとしてのアイデンティティを持ち続けてほしいとの気持ちは理解できますが、「壁の内側=ウリハッキョ」と「壁の外側=現実社会」を経験した身からはウリハッキョを守りたいかと言う意見に対しては100%の肯定もできません。
当コメント、イオのブログにふさわしくないと思うので、承認しなくてかまいませんが、個人的に感じたことを表現してみました。