沖縄取材雑記Vol.3 芸術の力
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新年を迎えて(哲)の初ブログです。今年もどうぞよろしくお願いします。
昨年11月22日から27日にかけて沖縄で取材をしてきた筆者は、これまで取材雑記を2回にわたって紹介してきた。Vol1.沖縄を歩いて、Vol2.「弾道ミサイルの可能性のあるもの」と続き、第3弾となる今回は、沖縄で改めて感じた芸術の力について綴っていきたい。
取材期間の後半、26日に筆者はとある美術館に足を運んだ。宜野湾市、米軍普天間基地に食い込む形で建てられている佐喜眞美術館だ。館長の佐喜眞道夫さん(77)は、丸木位里さん、丸木俊さん夫妻が描いた大きな「沖縄戦の図」を沖縄で展示すべく、同美術館を1994年に建てた。「沖縄戦の図」は実際に戦争を体験した住民たちから聞いた話を基に作られてており、久米島で日本軍に虐殺された朝鮮人や「集団自決」のようすなどが描かれている。絵の前に立つとその惨状が伝わり、絵の中に引き込まれるような感覚に陥った。
筆者が美術館に到着してから、県外からの修学旅行生たちも入館し、かれらと共に「沖縄戦の図」の前で佐喜眞さんの解説を聞くことができた。
「沖縄戦は本当に過酷な戦争で、戦争を生き抜いた人たちは地獄だと言った。世の中のすべての地獄を集めてもこんなにひどくないと。さらに、沖縄戦は軍隊が国民を守らないことを証明した。軍隊が守るのは国家だと。そのような戦争をどう見るか、どう考えるのかが一番大事だ」(佐喜眞さん、解説より)
佐喜眞さんは修学旅行生などを対象にこれまでも絵の前で解説を続けてきた。歴史的事実に基づき沖縄戦を説明し、日本の侵略戦争や現在も続く加害の問題について、絵を通して考えることを生徒たちに訴えている。解説が終わり、遅くに押しかけた筆者を佐喜眞さんは温かく迎えてくれ、おいしいコーヒーと共に閉館時間が過ぎても話をしていただいた。佐喜眞さんが「沖縄戦の図」、そして美術館にかける思いについては、次号2月号に掲載されている「沖縄で芸術による歴史の継承を」で紹介しているので確認していただきたい。
この日、同館でスタッフとして働いている在日コリアン3世と出会い、帰りは車で宿まで送っていただき、車内で語らった。美術館のいい空間といい出会いに大満足な旅(取材)となった。
現在、東京・神保町の檜画廊では「丸木位里・丸木俊展」が行われている(1月10日から1月27日まで、詳細はこちらから)。昨日、仕事終わりに訪ねてみた。
ここでは世界中を旅した丸木夫妻が見た街並みや人、風景などを描いた絵画が並べられていた。「原爆の図」をはじめとする戦争の絵に見られる凄惨さとは打って変わって、これらの絵からは楽しい雰囲気が伝わってくる。ギャラリーのオーナーと今展示を紹介してくれた丸木俊さんの姪の丸木ひさ子さんともお会いでき、丸木さん夫妻との思い出話も聞かせてくれた。オーナーは「本来、丸木さんはこのような楽しい日常の絵を描く人だった。この次は、原爆の図もぜひ見てください」と話してくれた。
筆者はまだ「原爆の図」が所蔵されている丸木美術館(埼玉)には行けていない。「原爆の図」のシリーズには朝鮮人被ばく者の被害を描いた「からす」(1972)などもある。さらに、美術館駐車場には、関東大震災時に埼玉で虐殺された朝鮮人を追悼する「痛恨之碑」が1986年に建立されている。沖縄にある日本軍に虐殺された久米島住民と朝鮮人の名前が刻まれた「痛恨之碑」にならって建てられた。ぜひ今後訪ねてみたい。
脱線してしまった。話を沖縄取材に戻そう。
沖縄滞在最終日の28日には、「恨之碑」の製作者である金城実さん(86)のもとを訪れた。読谷村に建つ「恨之碑」は沖縄に強制的に動員された朝鮮人の軍夫、日本軍「慰安婦」とされた女性たちを追悼している。
この日は、まず金城さんの案内の下、読谷村でフィールドワークを行った。
始めに、残波岬公園にある残波大獅子を訪ねた。この巨大シーサーの製作にも金城さんは携わった。「沖縄のシーサーは一般的に筋肉まで描かれていないが、ここでは筋肉と骨格を描いている」と金城さん。雄大なシーサーを前に圧倒された。
次に訪れたのはチビチリガマだ。米軍が4月1日に読谷村から上陸した翌日、このガマの中で住民同士、肉親同士が殺し合うという「集団自決」(集団的強制死)が起こった。避難していた住民約140人の内、83人が亡くなった。「鬼畜米英」と教えられ、米軍による残虐な仕打ちを恐れた結果であり、それは日本軍がアジアにおいて残虐な行為をしたことの裏返しでさらに信憑性が高まったことにも起因する。ここには、金城さんが制作した「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」が少年たちによって一度破壊された後、その償いで少年たちが金城さんと作った12体の野仏もある。その内の1体は朝鮮人をイメージして作ったそうなので、探してみてはどうだろう。
その後、お目当ての「恨之碑」に向かい、金城さんのアトリエで碑の制作意図やその思いを聞いた。詳細は次号の誌面をご覧いただきたい。
渡嘉敷島で生まれた金城さんは、沖縄本島の高校を出た後は、日本「本土」の大学に通い、大阪で長らく教師を務めた。在日朝鮮人が多く暮らした猪飼野に住みながら、そこで在日朝鮮人や被差別部落について考えた。
取材の間、金城さんは常に「権力と闘わなあかんねん」と繰り返した。
「高校無償化」からの朝鮮学校除外、ヘイトスピーチ、沖縄の辺野古新基地建設の強行…それらに対して怒りを露わにする。
そして、権力に抵抗する手段として、平和をうたう像の他にも、日本の加害の歴史をテーマにした作品を彫り続けてきた。芸術作品には、作り出した者の哲学があらわれる。改めてそれを実感した。活力に満ちた金城さんとその作品群にふれ、筆者自身の心に火が灯された。
昨年は、高麗博物館で展示された関東大震災に関する新たに発見された絵巻物や、アイゴー展の作品、尹東柱の劇などの取材を通して多くの文化芸術的なものにふれることができた。芸術の持つ力にどんどん魅了されている自分がいる。「沖縄戦の図」を前にして、戦争について考えない人はいないだろう。いかに想像力を働かせて作品を見るか。芸術には、言葉で直接語りかけるのとはまた違って、見る者に想像力を巡らせてさらに強く語りかける力があるのではないか。そう思った次第である。
次回は沖縄取材雑記の最終回。沖縄本島南部をフィールドワークしたルポを掲載したい。(哲)
本日の一枚
建物や家の屋根など沖縄でいたるところにいたシーサー。滞在期間に出会った中で筆者一番のお気に入りはこちら。いたずらっ子のような気質が見て取れる。