顧問の「身内」になった話
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3年ほど前から居住支部の女性同盟に加盟している。女性同盟とは、「在日本朝鮮民主女性同盟」の略称(1947年10月12日結成)。都道府県ごとに本部・支部・分会コミュニティがあり、同胞女性たちをつないでいる。
昨年末、1年間を総括する会でのこと(一応、私も2022年から支部の役員になっている)。内容は分会活動に関することがメインだった。毎月の集まりを欠かさずに行っている分会、若者集めを課題とする分会、しばらく活動に空白があったが、少しずつ動き出そうとしている分会…。
20代の頃から女性同盟や支部、分会の取材を数多くしてきたが、実際に自分が中に入ってみて分かること、感じることも多い。
総括とちょっとした打ち上げを終えて帰り支度をしていたとき。70代の顧問に「帰りはなにで帰るんですか」と訊くと自転車だという。それ以前の会話で顧問が暮らしている場所を耳にしていたので少し驚いた。
「片道20分くらいですよね。けっこう人通りも多いですけど大丈夫ですか」
「よたよたしながら来ていますよ」
その言葉に、ふと自分が顧問の身内であるかのような感覚をおぼえた。心配や慮りの気持ちが生まれたのである。もちろん身内でなくとも心配や慮りはできるのだが、このときは身内や親戚のようなイメージが浮かんだ。
帰り道にそのことを反芻しながら、支部や分会、もっと大きく括ってコミュニティというのは結局そういうものなのかなと腑に落ちた気がした。何度も顔を合わせ、生活のあれこれを伝え合い、お互いのことを分かってくるうちにだんだんと「他人」とは言えない関係になっていく。
先ほどの顧問も、定期的に自分が担当している分会の同胞宅を訪ねると話していた。「電話じゃだめ」だという。(そうだよな、電話だけじゃ相手に失礼だもんな)と考えていたら、それが理由ではなかった。
「電話だったら、もし体調が悪くてもこちらに遠慮して『大丈夫』と言ってしまうから。やっぱり数ヵ月に1回は会いに行って直接ようすを見ないと」
私の浅い考えなど全然話にもならない。長年地域に根づいてきた顧問の経験の深さにハッとさせられた。それと同時に、自分から顧問に向かう心の距離も近づいたような気がした。普段から本当の身内や親戚のように連絡を取ったり付き合ったりはしないとしても、なにかの瞬間、身内のような親身さや行動力を持って動ける関係性でありたいと思った。
支部や分会は、そういった関係性を育んでいく場なのだろう。(理)