音のない世界で
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先日、とある体験型のエンターティメントに参加してきた。
「DIALOGUE IN SILENCE(ダイアログ・イン・サイレンス)~静けさの中の対話~」(東京都港区、ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」にて開催中)だ。
(以下、趣旨文より引用)
音のない世界で、言葉の壁を超えた対話を楽しむエンターテイメント、
それがダイアログ・イン・サイレンス。
体験を案内するのは、音声に頼らず対話をする達人、聴覚障害者のアテンドです。
参加者は、音を遮断するヘッドセットを装着。
静寂の中で、集中力、観察力、表現力を高め、解放感のある自由を体験します。
そしてボディーランゲージなど、
音や声を出さず、互いにコミュニケーションをとる方法を発見していきます。
たとえ母国語の異なる人であっても、想像以上の交流が深まります。
1998年にドイツで開催されて以降、今日まで世界で100万人以上が体験しており、日本では2017年以降、約1.9万人が体験したという。
知人から送られてきたメールマガジンを通して初めて知ったのだが、何より”言葉の壁を超えて、人はもっと自由になる。”というコンセプトに惹かれた。
引き込まれるように予約をし、気づいたら、会場の扉を開けていた。
はじめて会う参加者たちとチームを組み、約1時間半、音のない世界でさまざまなコミュニケーションを体験するのだが、その無音の世界で最初に気づかされたのは、自分の「対話」の「硬さ」。
誤解を恐れずにいうならば、私はコミュニケーションには自信があると思っていたし、今でもそう思っている。あらゆる場面で「正面突破」できるかといえば若干考えるが、それでも、記者の仕事や、一定の社会生活を送るうえでは何の不便もない(と思っている)。
でも――。
声を通した対話ができない状況のなか、人(しかも初対面の)と心を交わす手段は、表情、ボディーランゲージ、目の動き…。
「音」が閉ざされた瞬間、自分がどんどん小さくなる。何もできないのだ。表情を使って感情を伝えるのが、(いや、伝えられないような気がして?)恥ずかしい。
だから一層、聴覚障害のあるアテンドの笑顔が輝いて見えた。
顔や身体のすべてを使って自らの心をそれこそ「全力」で伝えてくれる姿は、優しく、温かく、愛おしく、ありがたかった。
私は、音に、声に、言葉に頼り、大切なものを忘れかけていた。それを優しく諭してくれるようだった。
◇◇
こうして言葉にしすぎると、伝わるものも伝わらなくなるような気がする。おそらくこの憂いは本物で、人と人とのコミュニケーションのために進化・発展を遂げてきたはずの「言葉」であるが、それは時に、本当に伝えたい「心」を覆い隠す。
だからこそ、読者の皆さんにも、ぜひ、「ダイアログ・イン・サイレンス」を体験してほしい。
一つだけネタバレが許されるなら、入口にいた自分と、出口に立った自分はまるで別人になる。せわしない社会を生きるうえで、知らない間に失われた「何か」を、必ず、思い出すことができるだろう。
ダイアログ・イン・サイレンスの公式ホームページはコチラ
(鳳)