【特集】50代を生きる
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「人生100年時代」と言われている中、人生半ばの50代で新たなスタートを切る人びとも多いのではないでしょうか。50代は、会社や組織、地域同胞コミュニティで重要な役割を担う一方、仕事や私生活でさまざまな変化に直面し、決断を迫られる時期でもあります。本特集では、そんな50代同胞たちの仕事と暮らし、意識に迫りました。
輝く50代
各界、各分野で活躍し、人生に輝きをもたらしている元気な50代同胞に迫ります。
趙利寛さん(55)・兵庫体協会長
泥臭く、楽しく
兵庫県で建設業を営む趙利寛さんは、昨年から在日本朝鮮人兵庫県体育協会(以下、兵庫体協)の会長を務める。趙さんにとって大きな転機は、在日本朝鮮青年同盟(以下、朝青)との出会いだった。
西神戸朝鮮初中級学校(当時)、神戸朝鮮高級学校を卒業し、専門学校を経て職に就いた。先輩の誘いから朝青支部を訪ねたところ、「祖国と組織のために活動している朝青の専従活動家たちがいることを知って衝撃を受けた」。そこで専従活動家に対する尊敬の念と憧れが芽生えた。非専従ながら熱心に朝青活動を行った趙さんは、就職した4年後に会社を辞め、専従活動家になった。
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いつもママと、赤ちゃんとともに
趙成喜さん(53)・助産師
東京都品川区で、もあ母乳育児相談室を営む助産師の趙成喜さん。母乳育児についての相談対応、乳房マッサージなど、産後ママたちのケアに勤めている。赤ちゃんの発育についてや、育休を取得したパパたちに対する育児相談も行っている。
趙さんが母乳育児の大切さを知ったのは第2子妊娠中。先に出産した親族が助産師による桶谷式のマッサージをうけ、心身がみるみるうちに整っていくのを間近で見ていた。そうして自身も地元大田区の母乳相談室にかかることにしたのだった。
以前は都内の朝鮮学校で英語教師を務めていた趙さん。教員と同じようにやりがいを感じられる仕事を求めていたという。「フリースタイル」で働く助産師の姿も新鮮で、この仕事に興味を持った。
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Reportage それぞれの50代
人生半ば、どう生きる
「まだ何も成し遂げていない」
「50代になっても芝居をやっているなんて思ってもみなかった」。在日同胞劇団アランサムセに所属する俳優の金順香さん(53)はそう言って無邪気な笑みを浮かべた。
後輩たちのロールモデルに
朝鮮大学校師範教育学部美術科を卒業し、東京朝鮮第3初級学校で32年間教壇に立った張留美さん(54、東京都世田谷区在住)は2022年から専業の画家として活動している。
起業、転職、「前を見続ける」
大阪府在住の李京成さん(51)は、解体業、日本語学校、不動産業、介護施設を大阪市西成区で展開している。そのうち、不動産業は50歳になってから、介護施設は今年1月にオープンした。
同じ近畿地方在住のHさん(女性、50代前半)は昨年、地元の保険代理店に転職した。前職は運送会社の食堂勤務。1日に150食分の食事を作る仕事だった。肉体的負担が大きいため辞めたいと思っていたタイミングで今の職場から声がかかり、転職を決めたという。
「起こったことは仕方ない」
病気を機に、自身の人生についてあらためて考えるようになった人もいる。
近畿地方で福祉関係の仕事につくKさん(女性、50代後半)は数年前にがんを患った。
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読者に聞きました!
50代同胞の暮らしと意識
「人生100年時代」と言われるいま、人生半ばである50代同胞たちは、どのようなことを思い、楽しみ、どのような悩みや不安を抱えているのか。そして、セカンドライフをどう描いているのか―。イオ読者の会「イオ友」の会員を中心に読者の声を集めました。
どうする?50代からのお金の見直し
資産運用のコツとポイント
鄭英哲 ●公認会計士/税理士/証券アナリスト/宅地建物取引士/CFPⓇ
仕事もお金も生活も、その状況は人によりけり。「50代」を一緒くたに語ることはできません。しかし、確実にやってくる自分の老後に対する疑問や悩みは、50代であるほとんどの方に通ずることではないでしょうか。
特に、日本で生きていくうえで必要不可欠な「お金」のこと。今後もらう(であろう)年金と蓄えだけで、果たして人生100年時代と言われる時勢を乗り越えていけるのだろうか…。
今回はその対策の一つとして、資産運用のコツとポイントについて簡単に紹介します。読者の皆さんの50代からのライフプランニングの一助となれば幸いです。
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ちょん・よんちょる●1978年東京都足立区生まれ。東京朝鮮第4初中級学校、中央大学卒業。2006年公認会計士試験合格。KPMGあずさ監査法人を経て現在株式会社アートリエールコンサルティング代表。
Essay 50代独身 私の生き方
歴史探訪、カメラ、職探し
金浩さん(54、長崎県在住)
先日、長崎県の諫早市が募集したインスタグラムフォトコンテストでグランプリをいただいた。青空の下、夏の日差しに輝くメロンの形をしたバス停と、諫早湾の向こうに浮かぶ雲仙の山々を切り取った写真―。撮影地は、2015年に亡くなった妻とよくドライブで訪れていた思い出の場所だ。
写真歴は朝鮮大学校時代に学生新聞を作っていた頃から。卒業後もちょこちょこ撮っていたが、本格的に始めたのは15年ほど前からだ。長崎を中心に九州各地の景色のいい場所や、趣味の史跡めぐりで訪ねた場所で撮影している。
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