「政治的」は悪いことなのか?
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3月23日の朝日新聞デジタルに気になる記事が掲載されていた。
タイトルは「「戦争反対」は政治的ですか? ポスターはがされた新宿の老舗カフェ」。
JR新宿駅ビル構内にあるカフェ「ベルク」に関する記事だ。ベルクは人気店で毎日多くの客が訪れる。
記事の内容は次のようなものだ。
ベルクの店の外壁には戦争反対の思いを込めた「WAR IS OVER!」のポスターが貼られている。しかしビラがはがされ、道に捨てられていた。貼り直しても、数カ月に1度は、誰かにはがされたり、勝手に持ち去られたりしたという。
「政治的過ぎる」「飲食店にふさわしくない」。駅ビルの管理会社には、何度もクレームが寄せられていたという。
「戦争反対」というメッセージがなぜ「政治的」なのかと店長の井野朋也さんと副店長で写真家の迫川尚子さんは戸惑っている。記事は次のように書く。
「ベルクも客商売。避ける客が少しでもいるのならはがすことが「正解」なのかもしれない。
ただ、2人はポスターを貼り続けようと決めている。
勝手にはがされ、道に捨てられたことで、むしろ「はがしちゃダメだ」と思うようになった。萎縮したくない、言いたいことも言えない社会の閉塞(へいそく)感に従いたくない――。1枚のポスターにそんな思いを込めている。」
この記事に注目したのは、その内容もあるのだが、以前ベルクの店長の井野朋也さんにインタビューをしたことがあるからだ。店にも何度か訪れている。インタビューを掲載した月刊イオは店にも置いてもらった。
ベルクは立ち退き問題で長く戦ってきた。そんなことやお店の経営方針などについて話をうかがった。
この記事を読んで思ったのは群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑を群馬県が強制撤去した件だ。
そもそも県が追悼碑の設置許可の更新に応じなかった理由は碑の前で行われた集会で強制連行などと政治的発言があった、政治利用されている可能性があるという理由からだった。過去の日刊イオの記事を参照してもらいたい。
https://www.io-web.net/ioblog/2024/02/09/93474/
ベルクの件で言うと、「戦争反対」は政治的ではあるけれど誰もが肯定するものでなぜ文句をつけるのか理解できない。
それ以前に、政治的な発言や行動をとることが悪いことなのか。
ベルクの場合は飲食店だが、日本社会では例えばエンタメ業界の人たちはほとんど政治的な発言をしない。しかし他国、例えばアメリカでは芸能人がけっこう政治的な発言をし、自分の立場を明らかにしている。
日本社会では政治的なレッテルを貼られることを嫌がる傾向があるのではないか。
ベルクの件のようにSNSなどで非難が集中するのも発言を控えさせる原因となっている。
生活の身の回りのことで政治と無関係なものは少ない。国会議員の不正や対米関係などだけでなく、猛暑やゲリラ豪雨も、物価高や円安も、少子高齢化も、マスコミが言う両論併記も…政治と密接に関係している。
それらのことに関して自分の意見を言うことはけっして悪いことではない、と私は考えている。
ヘイトスピーチや差別発言、誹謗中傷は「政治的」以前に許されないことであるのは言うまでもない。(K)