店に歴史あり
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イオ5月号、絶賛発売中です。特集は「必勝! チョソン」。さる2月と3月に来日した朝鮮民主主義人民共和国サッカー男・女代表チームと国立競技場で行われた朝・日戦にフォーカスした特集となっている。
5月中旬発行予定の次号6月号では、地域で愛される在日同胞経営の飲食店を特集する。
現在、個人経営店では店主の高齢化や後継者の不在、店舗の老朽化、コロナ禍などの理由により、閉店を余儀なくされる店が少なくない。在日朝鮮人経営店でも事情が大きく異なるわけではない。次号の企画では、かつて海を越えて日本に渡ってきた在日同胞1世が開き、その味を代々受け継ぎながら今日まで続いている店や、地域で愛される「味」を今日まで守り続けている同胞たちを紹介する予定だ。
そんな次号特集を準備しながら、母方の祖母のことが思い浮かんだ。
日本による朝鮮半島植民地支配期に慶尚北道から渡日した祖母は、かつて青森県の三沢市で暮らし、そこで飲食店を営んでいた。
米軍基地の街・三沢にあったので米兵の客も多かった。いかつい米兵相手に片言の英語でやりあった。店の中や外で暴力沙汰が起きるのも日常茶飯事だったという。日本語の読み書きができないのに調理師試験に合格した。豪快で楽天的できっぷがいい、そんな「ザ・1世オモニ」だった祖母のキャラもあり、店は地域でも評判で、たいそう繁盛したという。従業員は最盛期で80人ほどいたという。
伝聞調なのは、私が実際にその店を見たことがないからだ。物心つくころには、店はすでになかった。写真でも見たことがない。祖母や母の話を通じて知るのみだ。祖母がことあるごとに作ってくれたさまざまな料理の味を通じて、かつてあった店のことを想像した。
お店は2度強盗に入られた。一度は、祖母自身が強盗に襲われ、生死をさまようような大けがを負った。幼いころ、よく私の手を取り、けがでへこんだ自分の頭部を触らせた祖母。「ここどうしたの?」と聞く私に、「昔、悪い人に襲われてけがしたんだよ」と笑って話ながら、実際の生々しい話は決して話さなかった。
そんな祖母も、祖父に先立たれたあと、息子2人が暮らす朝鮮に帰国した。それがちょうど23年前の4月のこと。それから1年後に亡くなった。
店に歴史あり―。代を継いで営んできたお店と人にまつわる歴史が垣間見られる特集になれば、と考えている。(相)