建築の評価とは―8月号特集追記
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最新号の8月号では建築に関する特集を掲載した。その中で、朝鮮大学校の校舎についても取り上げた。
今年で小平移転65年を迎える朝鮮大学校。1959年の移転当時に建設された校舎は、著名な建築家・山口文象(1902‐78)率いるRIA建築総合研究所(53年設立)が設計を担当したというのは有名な話だ。第1研究棟、事務棟、厚生棟など現在も残る建物群は、初期RIAの代表作として62年度の「建築年鑑賞」も受賞した。朝大校舎は政治的、社会的、経済的な難題が積み重なる中、どのような経緯で計画され、建設されたのか―は、さまざまなエピソードとともにすでによく知られている。
一方で、「建築年鑑賞」の選考者は誰で、どのような過程を経て朝大の受賞が決まったのか、具体的にどう評価されたのか、ということは案外知られていない。今回の記事ではこれらのテーマに焦点を絞ろうと考えた。1962年度の「建築年鑑」をはじめとして、朝大の校舎建築を取り上げている当時の建築雑誌や、朝大の建築について発言している山口文象をはじめとする関係者のインタビュー記事などの資料にあたって記事を書いた。
62年度の建築年鑑賞の最終選考に残ったのは、朝大のほかに東京文化会館、群馬音楽センター、日本板硝子ビルの4作品。ここから朝大と群馬音楽センターの最終投票となり、8票対4票で朝大の受賞が決まった。個人的には、あの東京文化会館を抑えての受賞というのはすごいと感じた。
「62年度版建築年鑑」に掲載されている名だたる建築家による選評は大変興味深かった、建築に関してはド素人の私は、建築に対する評価というのはデザインをはじめとする建造物それ自体によって決まるのだと思っていた。しかし、この間さまさまな資料に目を通す過程で、建築の社会的意味や造られるプロセスも同様に重要なのだということを知った。
8月号誌面には「建築年鑑賞」の選評のうちのいくつかを抜粋して掲載したが、紙幅の関係で載せられなかったものもある。今回のブログエントリでは、誌面掲載に際してカットしたものも含め、代表的な選評を抜粋して紹介する。
…坪単価7万円に満たないと言われる条件の中で、また学生たちが砂利を運んだり、スコップを握ったりしたといわれるような施工水準の中で、すなわち日本の平均的ともいえる技術水準の中で、それを「建築」にまで昇華せしめることが、他方における建築家の大きな役割であるとするならば、朝鮮大学は、「現代建築」の主流からは離れたところで、しかし最も民衆と結びついたところで、もう一つの「現代建築」をつくりあげたといえよう。そこに見られる健康で、なんの遊びもないデザインは、血肉となって将来の日本の建築の中に受け継がれてゆかれるべき性格のものであろう。(藤井正一郎)
私も含めて、皆が同意した結論は、年鑑賞は<建築年鑑>という出版物にとって、もっとも適切な意義のあるものにしようではないかということだった。ということは、せんじつめれば、この<建築年鑑>が刊行されるときに、対建築界、対社会にできるだけ新鮮な衝撃を与えるような、ということだと、少なくとも私は理解した。もちろん、それが単なるジャーナリスティックな瞬間的ショックだけに終わるものであっては困るが、いってみれば、建設的な「ショック賞」でありたいのである。
こうなれば、かなり割り切れるわけであり、私はほとんどためらうことなしに朝鮮大学を推すことにした。…
こうした建築年鑑賞の考え方に対しては、いろいろと批判もありうると思う。しかし私は、それなりに十分意義があると信じている。と同時に、これはありうべきいくつかの建築賞の中の、一つの性格に過ぎないということもまた意識されてくる。…
ともあれ、政治的・経済的なさまざまの困難な条件の中で、朝鮮大学という、みずみずしく、さわやかな建築作品を実現させた関係諸氏にお祝いを申し上げたい。とくに山口文象の永年かわらぬ心意気に拍手を送りたい。がんらい、<建築年鑑賞>は作品賞であって、建築家賞ではないのが建前だが、それはそれとして、この場合とくに建築家・山口文象の根性を見事だと感じるからである。(浜口隆一)
朝鮮大学は、ごく一部の人を除いて知られていない未公表の作品であり、地味な努力を続けているRIAの、とくに地味な作品である。初めに写真と図面で判断したときに、神奈川大学と同系列のもの程度に感じたが、実物を見て、この判断は大きく変えなければならなかった。最近の、時にはウンザリするほどの表現過剰の風潮の中で、これはまたおそろしく無駄のない、極限に切り詰められたゲシュタルトの強さだけをひしひしと感じさせるデザインで、およそ饒舌さのない、設計家が忘れてはならない重大な基本を完全に守った傑作である。そのディテールから察することができる、リミットな予算の中で挙げられたこの成果は、RIAの長い研鑽の蓄積がみごとに実ったもので、私たちにとって大きな教訓を与えているといったらいいすぎであろうか。
とにかく、ここには明日へつながる健康な空間構成があるばかりで、力みかえった無理は全くない。…今回とくに推すとすれば、あの素朴な処理の中で構成の厳しさだけを支えとした朝鮮大学であるように思えたのである。(橋本邦雄)
朝鮮大学は、初めて見る人には、ともかく大きなショックを与える。委員の一人の言う「人間のための健康な空間」を造営しようとするドラスチックな設計意欲が丸裸で押し出しているし、また作品としてそれが相当に成功しているのである。
だが、これは明らかに未完成品である。原因は何であったか詳かでないけれども、その意欲がかくも強烈であったにもかかわらず、中途で力尽きたのか、くたびれたのか、最後まで押し通し成就しきれないままに工事が終わってしまった作品と言えるだろう。いわば隙だらけなのである。
この未完成であるところに、正直言って人をとらえる魅力があるのである。隙だらけであるが故に、見る人に、この設計意欲を伸し得たら、こうもなりえたであろう、ああも展開できるであろうとの期待と希望を豊かに持たせるし、それだけに建築家に大きな刺激を与えるのである。(伊藤滋)
朝鮮大学はわが国における創作活動の背景からみれば、まったく特殊なケースだったといえよう。この作品に一票を投じたのは、設計に対する素直な発想の中に、建築創作における最も根源的な要素、建築を人間に奉仕させようとする意図を感じ、全体として清潔でのびやかな建築にまとめられていることに深い感銘を受けたからにほかならない。私は、建築生産の近代化を契機として迎えようとする新しい建築創造の展開の原型を、ここに見出したかったのである。(川上玄)
…第3回の建築年鑑賞が朝鮮大学に決まったことは、やはりよかったと思う。選定の際にはいろいろと議論もわき、判定もたびたび変わったが、最後にこの作品に決着したことは、やはりこの建築に他に見られない特性があったからだと考える。それは決して華々しいものではない。むしろ厳しいものである。設計条件においても、工費においても、それこそ容易なことではなかったろう。そんな困難な条件を切り抜けて、しかも作品の意匠に設計者の所信と体験が結集していることは、練達の技といわねばならぬ。これはコンクリートのローコスト建築だが、それに真正面から取り組んでいこうとする気迫が見える。設計者の山口文象氏をはじめRIAの建築家たちの、このひたむきな態度こそ、年鑑として特記すべきことであり、賞として賞賛すべきことと信ずる。とくにローコスト建築に対して技術的な努力を積み重ねていくことは、人びとには注目されず、さらにそれを意匠的にも精進していこうとする業績は、写真や文章では示しえないものである。そのためいっそうこの建築家たちの仕事ぶりに感銘を受ける。今年度の年鑑賞は、その賞の性格に新しい意義を加えたものと思う。(谷口吉郎)
新しい形、新しい構法が、一つ一つ人目を引いた時代も、ひとしきり終わって、建築家たちは一様に、みせどころのたねさがしをする時期になった。何か目新しいというところから、部材のデモンストレーション、今までになかった表面、そういうものが登場するようになった。
…
今までにない高さ、今までにない大きなスパン、今までに使われたことのない材料、そういうものはたしかに人目を集める効果はあるが、それだけでは建築史の一こまを作るには足りない。
発明や発見と同じように、パイオニヤーの業績は高くかわれてよいし、たとえ稚拙なものでも珍しければ物好きな人には大事にされよう。しかし、歴史的建築作品として認められるかどうかは疑問である。たんに今まで見たこともないという形やマスだけでは、三面記事にはなっても、美術書はもちろん、同好誌にも納められるかどうかわからない。
このごろの建築の中には、そういう気配が見られて悲しい。新しい技術と、新しい材料が、これほどまでに足早に開発されてきたのだから、このあたりで、その足跡を踏みしめるような作品が出てくるべきだと思う。何一つ目新しいことのないくせに、人の心をひきつける―そういう作品がほしい。
私が朝鮮大学を推したのは、そういう気持ちからである。(内田祥哉)
(相)