見える断片をつなぎ合わせ、見えない部分を想像する/『骨を掘る男』をみて
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本日のブログでは、先日、東京の「ポレポレ東中野」という小さな映画館で出会った作品を紹介したい。タイトルは『骨を掘る男』。6月中旬から全国で順次公開中だ。
アジア太平洋戦争下の1945年3月26日に米軍が慶良間諸島に上陸し、3ヵ月以上も日本軍との間で戦闘が続いた沖縄戦では、約4人に1人の住民、強制連行された朝鮮人や台湾人、両軍属含め約20万人が犠牲となった。県のまとめによると、沖縄戦の遺骨収集対象数の約18万柱に対して、2613 柱は今も地中に眠った状態となっている(今年3月末現在)。
本作は、沖縄戦の戦没者の遺骨を収集し続けている具志堅隆松さんを追ったドキュメンタリーだ。よわい70を数える具志堅さんは40年以上、掘り続けてきた。自らを“ガマフヤー”と呼ぶ(ガマ=自然壕、フヤーは掘る人)。
一方、「撮る」のは沖縄で生まれた奥間勝也さん。大叔母を亡くした戦没者遺族であるが、実際には会ったことがなく、大叔母を知る親族に比べてその実感はなかった。
本作で繰り返し提示される問いだ。監督が自らの「当事者性」を見出していく過程も映し出される。映画研究者の三浦哲哉さんは、本作における具志堅さんの位置を「取材対象というより、導き手」だと評する。
自然の中で道具を素手で持ちながら土を掘り続ける男。纏う空気感に、鑑賞者は思わず唾をのむ。遺骨は断片的な情報である。それでも具志堅さんは、両手がなくなった遺骨から手榴弾での自爆を連想し、乳歯と頭蓋骨、周囲にあった簪や歪んだキセルなどからは母と子、老人がいたと想像する。当時の状況や戦没者の顔を浮かび上がらせ、過去と現在の「対話」を繰り返す。
場面が一転、「遺骨土砂問題」が提示される。遺骨が混入している可能性のある沖縄戦激戦地だった本島南部の採掘土砂を、沖縄防衛局(防衛省)が米軍の辺野古新基地建設の埋め立てに使用する計画を進めていた。具志堅さんの普段の優しい語り口が一変、厳しさを帯びる。「人道上の問題」だと計画の中止を訴える具志堅さんの言葉に湛えられるのは、会ったことのない人を想い、追悼する気持ちである。
「遺骨が見つかる、見つからないじゃなく、亡くなった人により近づこうっていうこと」。具志堅さんは土を掘り遺骨を収集する行為について、こう続ける。「観念的な慰霊ではなく行動的な慰霊としてやっている」。
監督は「骨を掘る男」に導かれ、自らの血縁をたどり、沖縄戦の映像(すべて米軍によって撮影された)に没入する。さらには平和祈念公園(糸満市)内の「平和の礎」に刻銘された戦没者の名を沖縄、全国各地、世界でオンラインで読み上げる取り組みも追い、一つの解に辿り着く。
筆者も自らに引き寄せて考える。
101年前の関東大震災時の「人災」で亡くなった同胞たちの死を悼むことができるのか、と。碑の前で手を合わせること、それだけが追悼ではないことをこの映画、いや、それ以前から取材現場が教えてくれていた。証言を読み上げ、現地に足を運び、資料や映像を掘り下げる。まるで骨を一つひとつ精査し結合させる作業のように、見える断片をつなぎ合わせ、見えない部分を想像し、犠牲者により近づこうとする絶え間ない営みをもって追悼することが大事なのではないか。
具志堅さんの営みを観た上での本作ラスト、「最大の慰霊は、二度と戦争を起こさないこと」というかれの言葉もまた重い。
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作中、聞き覚えのある声を耳にした。「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」は2022年の映像だろう。スクリーンに映し出されたのは、朝鮮人の名前を読み上げる元総聯沖縄県本部活動家の金賢玉さんの姿だった。金さんは7月、この世を去った。
筆者は昨年、沖縄取材で金さんに会っている。各地から集まった朝青のメンバーとの会食の場で自らの体験を話す声、次世代への期待を込めて話すやさしい声―。沖縄で在日朝鮮人の権利擁護に努め、日本軍性奴隷制サバイバーである裵奉奇ハルモニと出会い、亡くなるまで寄り添い続けた金さん。金さんを悼むことは、すなわち金さんが経験し、成してきたことを継ぐこと、本作になぞらえて言えば「行動的慰霊」の実践である。
金賢玉さんのご冥福をお祈りします。(哲)
以下、映画の情報です。
『骨を掘る男』
撮影・編集・監督:奥間勝也/共同製作:ムーリンプロダクション、Dynamo Production/製作:カムトト/整音:川上拓也/カラリスト:田巻源太/音楽:吉濱翔/115分/2024年製作(日本・フランス)/配給:東風
6月15日より全国順次公開中
劇場情報は公式HPから