差別に立ち向かう“権利意識”こそ/人権協会結成30周年記念シンポジウム
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在日本朝鮮人人権協会結成30周年第7回全国研究交流集会が9月7、8日にかけて大阪市内で行われ、初日に記念シンポジウム「在日朝鮮人差別の構造とその打開に向けて」と記念祝賀宴が開催され、日本各地の会員、近畿地方の同胞たち、同協会の活動を支援する日本市民約200人が参加し、これからの権利運動について考えを深めた。
▼2人の弁護士から
人権協会は1994年2月5日に結成され、当初2人の弁護士を含めた45人の会員で活動をはじめた。現在は66人の弁護士、13人の公認会計士、27人の司法書士、31人の税理士、18人の社会保険労務士をはじめ200人以上の資格者、研究者活動家を合わせ450余人の会員を擁する専門家集団としてさまざまな活動を行っている。傘下に東京、大阪、兵庫、九州の各地方組織と京都に協議体があり、法律部会、経済経営部会、性差別撤廃部会、生活法務部会、福祉情報交換会、若手情報交換会、若手司法書士学習会、社会保険労務士部会の8つの部会が運営されている。
シンポでは人権協会会長の金舜植弁護士(7代目)が基調報告を行った。金弁護士は1990年代後半から日本社会において歴史修正主義や排外主義が台頭し、「北朝鮮バッシング」が激化、2002年の朝・日平壌宣言後はさらに状況が悪化し、2010年前後から差別主義団体によるヘイトの嵐が吹き荒れたとのべ、総聯や朝鮮学校、在日朝鮮人を標的にした差別を具体的にあげた。
このなかで民族教育の権利を守るため、同協会が日本人弁護士とともに90年代後半のチマチョゴリ切り裂き事件や暴行事件の再発防止に取り組み、2003年の大学受験資格問題では「弁護士有志の会」を結成し、「大学入学資格の弾力化方針」の撤回を求めて活動、05~08年には多民族共生フォーラムの開催に尽力し、これが弾みとなり、山下栄一参議院議員(故人)が「義務教育段階の外国人学校に対する支援に関する法律案」を提出するという大きな動きがあったと言及した。
また、13年以降は日本の5ヵ所で始まった高校無償化裁判を担い、大阪地裁で勝訴を獲得。国連・人権条約機関の勧告を引き出すための活動、旧日本軍性奴隷制度問題を記憶するための「4・23アクション」、日本政府の対朝鮮制裁に基づく不当な人権侵害や入管法の問題点を是正するための活動などについて言及しつつ、「現在も対朝鮮制裁と在日朝鮮人に対する差別は続いており、課題は山積している。本シンポを通じて朝鮮制裁と差別構造の問題点と課題を整理し、解決の糸口を考えたい」と呼びかけた。
▼「制裁の時代」と在日朝鮮人
続いて、「90年代以降の在日朝鮮人差別の構造」と題したクロストークが行われ、藤永壮・大阪産業大学教授(朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪共同代表)と鄭栄桓・明治学院大学教養教育センター教授が登壇した。
「『制裁の時代』における在日朝鮮人差別・抑圧」と題して発言した鄭教授は、1989年の入管法改正によって、朝鮮、台湾など旧植民地出身者以外の外国人が増え、外国人人口の構造的変化があったと概説したうえで、1990年代からは対朝鮮制裁が進み、在日朝鮮人、とくに総聯や朝鮮学校が「制裁対象」と見なされるようになった、2006年以降の制裁による人権侵害は日本の世論に下支えされる形で維持されたとし、「制裁はもはや日本でニュースにもならない。風景のように馴染んでしまっているものが、私たちの権利意識や日本社会における権利論をいかに蝕んでいるのかを考え、それをあたり前と考えない視点が非常に重要なのではないか」と問題提起した。
また2003年の大学受験資格問題において、外国人学校のなかで朝鮮高校だけが結果的に個別審査となったとし、その後安倍政権により差別が露骨化。朝鮮高校に就学支援金が支給されないのは朝鮮学校側に問題があるような「転倒した論理」がマスメディアでまかり通るようになったと指摘し、「制裁の時代、『(外国人への)門戸開放』の論理をもって民族教育権が侵害される状況が作り出され、『門戸開放』と制裁が共犯関係に入る事態になっている。日本の多文化共生論の限界だ」と権利運動をめぐる現住所を喝破した。
▼失われた30年を考える
大阪の補助金問題
藤永教授は「朝鮮学校にとっての『失われた30年』を考える―大阪朝鮮学園大阪府・市補助金裁判を手がかりに―」と題して発言した。
大阪における高校無償化裁判や補助金裁判を支援し、補助金裁判の第二審で鑑定意見書を提出した藤永教授は、「民族教育に関わる裁判闘争に関わった者として、法律や制度など現存する枠組みの中だけでは解決できないと考えている。歴史認識に関わる問題を考えながら作り直していく営みが求められている」と問題提起した。
藤永教授は、高校無償化制度が始まった2010年3月に当時、橋下徹・大阪府知事が朝鮮学園側に「4要件」(日本の学習指導要領に準じた教育活動を行うことなど)を示し、10年度は高級学校、翌11年度からは初中級学校の補助金を停止した権利侵害について言及した。
藤永教授は大阪府私立外国人学校振興補助金(1992年から実施)の支給条件に「1条校に準じた教育活動を行っているか」という決まりはなく、日本の幼稚園から高等学校の就学年齢に相当し、大学・短大への進学実績があることなどが根拠になったと強調。しかし裁判の過程で府と市は「4要件の提示」を正当化するため、学習指導要領に準じるなどの「4要件」の内容が最初から制度に内在していたなどと詭弁を展開し、それを司法が認定したことで「歴史が偽造されたものだった」と指摘した。
また、府の振興補助金の意義について「民族教育の維持、発展のためには大きな到達点をなしたが、植民地支配への反省に基づき民族教育の意義を認めた制度ではないという意味で本質的な課題は残った」と指摘。「日本のリベラル派と言われる人たちの歴史認識が問われ続けている」とし、1948年の阪神教育闘争弾圧時にさかのぼり日本の為政者の歴史認識を問いただした。
▼現場の声は、大阪朝高出身の弁護士が
続いて、「現場の声を聞く」と題して、大阪朝鮮高級学校出身の2人の弁護士が登壇した。康仙華弁護士は自身が携わってきた京都朝鮮学校襲撃事件について、「朝鮮学校は学校でないという差別主義者たちのヘイトスピーチは、朝鮮人としてのアイデンティティを根底から揺るがす攻撃を与えた。京都の学校関係者が受けた苦悩や葛藤は、並大抵のものではなく、血を吐くような一大決心をして裁判に挑むことになった。結果、大阪高裁と最高裁がヘイト街宣を国連・人種差別撤廃条約における人種差別に該当すると明確に認定するという成果を達成したが、勝訴判決を勝ち取るまでの過程が傷つけられた自尊心、心を回復する機会にもなった」と振り返った。
「MBSラジオ抗議行動と日本の『ヘイト』事情」と題して発言した任真赫弁護士は、MBSラジオのコメンテーターが朝鮮学校を「スパイ養成的なところ」と発言したことに対し、繰り返し抗議と交渉を重ねた結果、MBS社長から謝罪があり、社員研修が実施されるようになった闘いの経緯と教訓について話した。
「オモニたち(朝鮮学校保護者)の当事者としての思いには説得力があり、MBSの姿勢を変えた。これを放置した場合、偏見に基づいた情報が蔓延し朝鮮学校の子どもたちに危害が加えられる可能性があった。放置しておくと最終的にはジェノサイドに至る危険性もあった。小さな勝利を積み重ねていく大切さを感じた」と言葉に力を込めた。
▼2部祝賀宴で振り返る30年
第2部の祝賀宴では、人権協会を支えてきた歴代の会長や常任理事、会員たちが30年を懐かしく振り返りながら、専門家集団としての今後の抱負を披露していた。
来賓を代表してあいさつした南昇祐総聯中央副議長は、30年を支えてきた功労者たちの努力をねぎらいながら、「今や朝鮮学校を卒業した若い世代の弁護士たちが法的闘争の最前線で活躍している。人権協会の専門家たちが日本各地の同胞生活綜合センターのアドバイザーになり、生活と権利面で同胞たちの便宜をはかっている」と謝意を伝えた。
また、「この30年日本政府は朝鮮民主主義共和国への敵視政策をとり同胞と総聯を政治的に抑圧し、既得権すら奪った。人権協会は同胞たちを社会、経済的に排除する政策に反対する難しい闘いを続けてきた」とのべ、「今後も同胞たちの民族的尊厳と権益を守りぬき、同胞たちの安全な生活と、後代の未来のために自身の責任と使命をしっかり果たしてほしい」と期待を伝えた。
続いて来賓の丹羽雅雄弁護士は、「日本の歴史修正主義のなかで私たちが加害の歴史をしっかり押さえなければ、人間の尊厳を守る判決を導くことはできない」として、「朝鮮学校への差別は文化的ジェノサイドを回復する問題であり、民族教育の権利保障なくして私自身の解放もない。この視点をもって無償化裁判にも取り組んできた。これからも末端の弁護士として差別を正していきたい」と連帯のあいさつをした。
祝賀宴では、同胞法律バラエティ「痛快!豪快!人権協会!キョーレツに出来る協会弁護士の法律事務所」と題して金京美、李承現、金星姫弁護士が相続や離婚問題について解説した。また8日午前には法律法務、経済・経営、福祉・人権などの分野別に分科会が行われ、各地会員における多方面における実践が報告された。(文・写真:張慧純)