『ぐりとぐら』
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「今日は長い絵本? 短い絵本?」
「長い絵本だよ」
我が家の長男の寝かしつけは、だいたいこのようなやり取りから始まる。就寝前に絵本を読み聞かせるのがルーティンだが、寝支度が早く終わって寝室に入ることができた日は長い絵本、遅くなった日は短い絵本というのが決まり(長い絵本、短い絵本は厳密な基準があるわけではなく、恣意的な分類だが)。息子はマイ本棚にある短い絵本の中から「本日の就寝のお供」を選んで持ってくる。
数日前、「短い絵本」の日に彼が選んできたのは『ぐりとぐら』。
「ぐりとぐら。なかがわりえこ、やまわきゆりこ」
絵本のタイトルを読んで本文に入るのが普通だが、いつの日からか、表紙に載っている作者の名前や奥付や裏表紙にある作者のプロフィールまで読んで、とせがまれるようになった。
「『ぐりとぐら』を書いた人、死んじゃったんだ」
「えぇ、いつ?」
「ちょっと前。なかがわりえこさんね」
「やまわきゆりこは?」
「(呼び捨てかい(笑))。やまわきさんはなかがわさんよりもっと前に死んでるんだ」
「いつ?」
「2年前だよ」
「もう『ぐりとぐら』の絵本はもう出ないの?」
「そうだね。絵本を書く人がいなくなっちゃったからね」
少し前に5歳になった長男は、「死」についてまだよくわかっていない(まったく知らないということはないのだが)。このまま会話を続けると「哲学問答」になってしまうので、うまく切り上げて本文の読み聞かせに移った。
「ぐりとぐら」シリーズの作者である中川李枝子さんが10月14日に亡くなった。死去が報じられた17日、「今晩息子が『ぐりとぐら』を選んできたら運命を感じるな、もしそうなったらいろいろ話してあげよう」と考えていた。しかし、「ぐりとぐら」は息子のお気に入りの一つだが、ブログのネタになるようなそんな都合のいいことがそうそう起こるはずもなく、「ぐりとぐら」シリーズを選んできたのは死去の報が出てから数日経ってからだった。
この日読んであげた「ぐりとぐら」シリーズの1作目は、ぐりとぐらが大きなカステラを作って、森の中の動物たちにふるまうというストーリーだ。はじめのころは、ぐりとぐらのキャラクターのかわいさや、「カステラおいしそう」という感想をうれしそうに話していた長男だったが、次第に、森の動物のイノシシはほかの絵本に出ていたイノシシのキャラクターやYouTubeで見たイノシシと姿が違うとか、ぐりとぐらが卵の殻で作った車を見て「エンジンはどこ?」とか「この車は道路を走ってるの?」とか、「興味持つの、そこ?」とつっこみたくなるような斜め上からの感想をのべるようになっていった。「これも、子どもの成長の証なのだ」。親としてはそう理解している。
以前、児童文学の特集で翻訳家のさくまゆみこさんをインタビューしたことがある。さくまさんはそこで次のように話していた。
子どもの本が果たす役割とは、子どもの周囲にたくさんの「窓」を作っておくことだと考えています。実際に窓を開けるのは子どもですが、その手伝いをするのは大人の役目。親が本棚に面白そうな本をそろえておいたり、本を作る側であれば、読み手が開いてみたくなるような装丁にしたり。…「いま、ここ」にとらわれていると息苦しくなってしまいますが、別の窓を開けると違う景色が見えて、そこから力をもらえます。
中川さん、子どもたちへ新しい世界につながる「窓」を作ってくれて、ありがとうございました。(相)