祭祀考~旧正月を前に
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今年の正月から、シガ(義家)のチェサ(祭祀)がなくなり、墓参りに変わった。
数多くのパンチャン(おかず)を作り、半世紀以上もの間、一家のチェサを一手に引き受けていたのはシオモニ(義母)だった。
チヂムはニンジン、ニラ、シイタケの三種。ついで白身魚や牛肉のジョンを焼き、豆腐を焼いて最後に串刺しした牛肉を焼く。2センチ角の串焼きはステーキのようで一番人気のおかずだ。
ナムル作りは同時進行。豆モヤシ、ホウレンソウ、コサリを茹でて味つけた後はタングッ(スープ)作りに取りかかる。タングッの絶妙なダシは牛肉とタコにあると思うが、自分で作るとこの味にたどりつけない。1世に仕込まれたその味-。
集合時間に行くと、すでに天ぷらと魚焼きは作り終わっていることが多かった。シオモニは朝鮮料理はもちろん洋食和食、何でも美味しく作ってくれた。
チェサでの男性の仕事は、屏風や机を運ぶことで、もっぱらチェサは女の仕事だ。結婚した当時は年に4回チェサがあった。働きづめのシオモニを見ながら、こんな前近代的なことをいつまで続けるのかと思い、夫婦で議論したこともあったが、なくなると聞くと、寂しく思う自分が不思議だった。子どもたちは、料理上手な「ハンメの料理が食べられない」と悲しげだった。
「寂しい」の正体は、なんだろう。
見よう見まねでシオモニに料理を習ったことで、料理が少しはできるようになったし、シオモニとトンソ(夫の弟の妻)と話す時間は楽しかった。子どもたちが楽しく集う様子も好きだった。
コロナでチェサをする家が減ったという。
先祖を敬い、親戚が集まる場としてかつてのチェサはあったと思う。
しかし、女性の苦労は多かった。誰もが負担なく自然に楽しく集まれる場、「ポストチェサ」とは、どんな場なのだろうかと考える。
チェサの準備がなかったこの年末も、シオモニは子どもや孫、ミョヌリ(嫁)のために、チヂミ、ナムル、肉にタングッを作ってもてなしてくれた。
どんなときも家族に尽くすシオモニには頭があがらない。
そして墓参りでは伝わらないだろう、あの匂い、味、にぎわいを、1世の時代から女性たちが背負い続けた労働を忘れてほしくないと思うのだった。(瑛)