47年ぶりの金剛山歌劇団沖縄公演
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朝鮮の伝統芸能、沖縄で共鳴呼ぶ
翌31日には、歌劇団メンバーや日本各地から訪れた同胞、日本市民らが沖縄と朝鮮半島のゆかりの地を巡るフィールドワーク(バスツアー)も企画された。
ゆかりの地巡るフィールドワークも
歴史に深く刻まれたステージ
伝統芸能で魅了
金剛山歌劇団50周年記念公演「道」の沖縄特別ステージは、特別出演した沖縄県立芸術大学琉球芸能専攻OB会による古典舞踊「かぎやで風」から始まった。三線など沖縄の伝統楽器を紹介し終えると、朝鮮民謡「アリラン」を演奏し、会場を盛り上げる。舞台では胸躍るような伝統楽器の音とともに舞踊が繰り広げられた。
続いて、オープニング「道」が歌劇団によるステージの壮大な幕開けを飾る。
「ハイタイ、グスーヨー、チューウガナビラ(みなさんこんにちは、お会いできて光栄です)」。司会の金明姫さん(功勲俳優)が朝鮮語に続き、ウチナーグチ(沖縄語)であいさつすると、会場に拍手が轟いた。
女声重唱「りんごの木を植えました」、舞踊「あの空の向こうへ」、チャンセナプ独奏「われら幸せを歌う」―。祖国に思いを馳せた作品や在日同胞に愛され続ける作品が次々と舞台に上がる。洗練された歌と踊り、オーケストラ、演出すべてが終始観客を魅了した。
今公演の特別演目、李栄守さん(人民俳優)による男声独唱「トラジの花」は多くの観客の琴線に触れた。この歌は、沖縄在住のシンガーソングライター・海勢頭豊さんが、日本軍「慰安婦」として朝鮮半島から沖縄に連行された裴奉奇さんの鎮魂歌として作詞作曲したもの。約30年前、海勢頭さんに頼まれて歌劇団の金団長が朝鮮語訳詞を担当した。李さんの空気を震わせるような歌声と、朝鮮語と日本語で織りなす悲哀に満ちるも力強い歌詞に涙する観客も少なくなかった。
会場中に伝播した熱気は冷めることを知らず。公演が大詰めに近づくにつれ、さらに高まっていく。フィナーレと思われた民俗舞踊「農楽舞2024」が終わるとうれしい演出が。沖縄県立芸術大学OBが再びステージに上り、沖縄では誰もが知る民謡「てぃんさぐぬ花」(※)を出演者みなで披露すると、客席も応えて会場が一体となり、温かい雰囲気に包まれた。金団長と両共同代表らもステージに上がり、客席から万雷の拍手が鳴り響く中、公演の幕が下ろされた。
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公演実現に「次世代の力」 公演実行委共同代表に聞く
「対話」をこれからも/親川志奈子さん
共同代表に誘われる以前から、沖縄平和運動や米軍基地の問題を巡る裁判の現場では白充さんと、私が運営する放課後児童クラブでは白さんのパートナーの李栄淑さん(実行委事務局長)と、それぞれ交流があった。
琉球芸能は、日本の中の多様性の一つとして語られることが多い。一方で、金剛山歌劇団は自分たちの文化を中心に置いて活動している。そこにすごく感動した。「私たちがなかなか成しえなかった道を歩んでいる人たちがいるから、ぜひ一緒に観ましょう」と沖縄の人たちに声かけをしていった。
沖縄も政治的な状況が複雑なため、団体や個人の間で仲が良かったり悪かったりもするが、今回はいろんな方が関心を寄せて、一緒に公演を観覧することができた。白さんや李さんの沖縄社会における活躍や貢献があったからこそ、こうして人をつなげて、この場を創ることができたと思う。本当に感謝しかない。…
金賢玉さんのバトンを手に/白充さん
沖縄公演を提案していただいた総聯鹿児島県本部の李清敏委員長へのお礼もかねて昨年11月、歌劇団の鹿児島公演を現地で観覧した。歌劇団公演は朝鮮学校中級部の頃に地元の福井県で観て以来、24年ぶりだった。そこで混声重唱「ウリハッキョ、ウリ未来」の演目に出会い、7月に亡くなった金賢玉先生(元総聯沖縄県本部活動家、享年81)のことを思い出して涙があふれた。金さんは1948年の「4・24教育闘争」時のようすを強く記憶しており、生前、ウリハッキョ(朝鮮学校)の重要性を繰り返し語っていた。
公演を観ながら、辛く悲しい歴史を歌と踊りで希望に変えてきた在日同胞と、次の世代へつなぐ希望としてのウリハッキョが自分の中でつながった。…
以上が各記事の抜粋です。全文は本誌2025年3月号をご覧ください。