統一への希望、4500人が涙/vol.37 在日朝鮮学生少年芸術団のソウル公演
民族教育史上初めて、朝鮮学校の生徒たちが南の故郷の地で芸術公演を行ったのは15年前の2002年9月のことだった。在日朝鮮学生少年芸術団(団長=具大石・東京朝鮮中高級学校校長、総勢90人)は、9月4日にソウル、6日には全州で公演を成功させ、合計4500人の市民が朝鮮学校生との出会いを果たした。
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民族教育史上初めて、朝鮮学校の生徒たちが南の故郷の地で芸術公演を行ったのは15年前の2002年9月のことだった。在日朝鮮学生少年芸術団(団長=具大石・東京朝鮮中高級学校校長、総勢90人)は、9月4日にソウル、6日には全州で公演を成功させ、合計4500人の市民が朝鮮学校生との出会いを果たした。
1969年4月1日の創立以降、同胞たちの尽力によって発展し、続けられてきた奈良朝鮮初中級学校。しかし2000年代を前後して児童・生徒数が徐々に減少し、休校を余儀なくされる。「子どもたちにもう一度、同胞が集う場所を見せてあげたい」―。同胞社会の拠点ともいえる“ウリハッキョ”を復活させるため、卒業生たちが思いを集めて立ち上がった。
映画はただ観るだけでなく、そのあとにそれぞれの受け止め方を語ることにこそ醍醐味があるのかもしれない。
映画を一つのきっかけとして予期せぬ方向に話が転んだとき、その人の価値観に触れることができる。
今月号の特集では、映画好きや映画と深い関わりのある人々に登場してもらい、存分に「映画愛」を語ってもらいました。
奈良県では、1960年代末まで午後夜間学校の形式で民族教育が続けられていた。奈良朝鮮初中級学校が開校したのは69年4月1日。プレハブ造りの仮校舎ではあったが、ようやく体裁を整えた自主学校が完成したのだ。翌年9月12日、現在の場所に鉄筋の新校舎を竣工。この日を学校創立記念日に定めている。
朝鮮学校に通う児童・生徒たちが「話術」技能を競い合う在日朝鮮学生中央口演大会。日本で生まれ育った子どもたちが朝鮮語を披露するこの大会は、4世、5世が学校に通う時代となった今も、重要な場となっている。
観客の目の前で物語が演じられる。時に役者の汗や唾が飛んでくる。大きな会場よりも小さな小屋がいい。
表現者と観客が一体となってマダン(場)を作りだせるのが芝居(演劇)の一番の魅力だ。
在日同胞社会でも解放直後から多くの芝居が作られ、多くの問題が訴えられてきた。
多くの演劇人が活躍し今も活躍している。今月は在日同胞演劇の世界をご紹介します。
女性演劇人のきむ・きがんさん(劇団石)と金民樹さん(劇団タルオルム)の二人の対談から特集がスタートです。
朝鮮学校の制服のシンボルといえば、女子のチマチョゴリ、男子の「サンペン」マークだ。衣服は民族や意識を象徴するものだが、朝鮮学校制服のシンボルは今も健在。女子の多くは、校内ではチマチョゴリ制服で過ごし、登下校時には第2制服のブレザーを着る。男子の制服は1986年から徐々に学ランからブレザーに移行、ボタンやシャツに「サンペン」マークが利用されている。全10の朝高、その制服を一挙紹介します。
朝高ボクシングを頂点に押し上げるために人生を捧げた李成樹・東京朝鮮中高級学校ボクシング部監督(享年46歳)。教え子や縁の人から、その情熱を追った。
朝鮮学校の特徴として、教員の養成を自前で行っていることが挙げられる。現在、日本各地にある朝鮮学校の教員は朝鮮大学校から輩出されるのが基本だが、それまではさまざまな方法で教員が養成されていた。各地にあった師範学校、朝鮮高級学校の師範科を中心に、民族教育のもう一つの教員養成の歴史をたどる。
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