【特別企画】元気と笑顔、お届けします
本誌では2017年1月号から、日本各地の朝鮮学校を紹介する「おいでよ! ウリハッキョ」を掲載してきました。取材中、子どもたちと一緒に過ごしながら、2ページの誌面では紹介しきれないはじける笑顔に出会います。今月は番外編! 子どもたちの表情を紹介します。
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本誌では2017年1月号から、日本各地の朝鮮学校を紹介する「おいでよ! ウリハッキョ」を掲載してきました。取材中、子どもたちと一緒に過ごしながら、2ページの誌面では紹介しきれないはじける笑顔に出会います。今月は番外編! 子どもたちの表情を紹介します。
幼児教育は“根っこを育てる”といわれ、朝鮮幼稚園は民族教育の入り口でもある。現在、福岡県には3ヵ所の朝鮮幼稚園(班)がある。そのうちの一つ、小倉朝鮮幼稚園(北九州市小倉北区)を訪ねた。一人ひとりの発育を大事にしながら、生活の中で「ウリ」を教える工夫が満載だ。
県下唯一の朝鮮学校である埼玉朝鮮初中級学校。「アットホームで身近なハッキョ」として保護者や地域同胞社会から支えられ、愛されてきた。2010年に県からの補助金支給が停止されたが、17年11月には日本の有志たちが「誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会」を結成。厳しい状況のなかでも保護者や関係者、日本の市民たちが補助金再開を求めて草の根運動で理解の輪を広げている。
朝鮮学校閉鎖を命じた「1・24通牒」は、朝鮮語による自主的な教育を認めないという日本政府のあからさまな弾圧であり、戦前に続く植民地主義の継続を意味した。通牒に反対する4・24教育闘争には、100万3000人が参加し、「民族教育=子どもたちの未来」を守る精神と連帯を生んだ。同胞たちは学校の再建に立ちあがる。
1945年の祖国解放後、在日朝鮮人はすさまじい勢いで朝鮮語を教える国語講習所を日本各地に建て、子どもたちへの民族教育を施していった。しかし、米占領軍と日本政府は48年1月に「朝鮮人学校閉鎖令」を出して朝鮮学校への大弾圧を加え、大阪では16歳の少年が警官に銃殺される惨劇が起きた。
14歳で日本軍の性奴隷被害を受けながらも日本政府の公式謝罪と補償を求めて闘ってきた韓国在住の金福童さん(92)が1月28日、闘病の末、ソウル市内で逝去した。ルワンダ、コンゴなどで性暴力を受ける被害者たちを支援するナビ基金を立ち上げ、日本に暮らす朝鮮学校の子どもたちへの支援を率先してきた金福童さんは、朝鮮半島や日本、世界中で人権活動家として尊敬を集めていた。朝鮮学校にも度々足を運び、大阪無償化裁判控訴審で敗訴判決が下った翌日の9月28日に大阪朝鮮高級学校と城北朝鮮初級学校を訪れ、児童生徒と教職員たちを激励した。
岡山県と島根県内の朝鮮学校3校の統廃合を経て、2000年に旧倉敷朝鮮初中級学校の校舎で新たなスタートを切った岡山朝鮮初中級学校。15年に創立70周年を迎えた同校の特徴の一つが保護者や地域同胞社会の力強いサポートだ。昨年7月の西日本豪雨で受けた被害の補修も終わり、学校は2月の学芸会の準備に一丸となっていた。
①ルポ ・坡州で境界を眺める~分断の地、時代の境界に立って/②座談会 朝鮮学校支援の輪、南でもっと広げよう「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」/③“忘れない”―ハルモニたちが導く道へ「戦争と女性人権博物館」を訪ねて
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